10月22日、衆院長崎4区と参院徳島・高知選挙区の補欠選挙が行われた。自民党は徳島・高知で惨敗、衆院長崎4区は辛勝と、低迷する岸田政権の支持率を如実に反映した結果となった。
◇ ◇ ◇
「岸田首相は2勝が絶対だとしていた。情勢調査などで徳島・高知は負けそうだとなったが、宏池会の候補でもある長崎4区は鉄板でいけるだろうと予測していた。それが苦戦の末の勝利。二つの選挙区ともに自民党の議席だったので、影響は大きい」と自民党の大臣経験者が語る。
長崎4区で苦戦のきっかけとなったのは、皮肉なことに岸田文雄首相が補選用に表明した所得税減税と現金給付だった。同区補選で自民党は、世襲三代目となる金子容三氏を擁立。立憲民主党は、前回の衆議院選挙で敗北も比例復活した衆院議員の末次精一氏を公認した。
祖父、父親とも農水相を歴任した金子氏。父親の元秘書が長崎4区内の自治体で首長になるなど「金子王国」を築いてきた中で、情勢調査では当初、最大で20ポイント近くリードしていた。
長崎4区は、有権者数が約25万人で大票田は佐世保市。しかし選挙区は島しょ部にまで広がっており、ある島の市民は「金子さんのポスターが島を埋め尽くしている。末次さんのポスターは島で数枚しかないはず。末次さんのポスターを貼っているとどんな仕打ちにあうかわからない。それが現実なので、金子支援の格好をするしない。しかし、金子さんは祖父も父親も長崎4区を自分の土地であるかのように利権を独占してきた。いくら、田舎でも三代も続けて利権をむさぼるのは、もうやめてという世論を感じた」と話す。
そんな空気感もあって、選挙戦後半になると金子氏は失速。末次氏が大きく盛り返した。20ポイントほどあった差は、自民党が実施した10月14日~15日の調査結果で、たった2ポイントに縮まっていた。ある自民党の長崎県議はこう話す。
「情勢調査の数字で迫られるのはわかっていた。公明党の推薦が告示前日だったのも痛かった。出陣式では、公明党の推薦状が大きなニュースにもなったほど。しかし、組織票はあまり動かず、期日前投票の出口調査はほぼ横並び。ここで貯金をつくらないといけないのに互角の戦いとなっていた。そこで10月15日に岸田首相自らが長崎4区入りしたが、これが逆効果になって余計に苦戦した」
岸田首相は、衆参補選と10月20日に始まった臨時国会に合わせるように「所得税減税」を表明。所得が低い層には「現金給付」、つまりバラマキ作戦を展開するものだった。前出の自民党大臣経験者はこう読み解く。
「岸田首相の支持率が高いなら、この戦略は正解だったかもしれない。しかし、支持率が下落して止まらない中でやったので、あまりに選挙目当てだと不快に感じる有権者が多かった。徳島・高知選挙区では負けるにしろ、8時当確はなんとか回避できるだろうと思っていたが、岸田首相の会見後に一気に批判が殺到して野党系無所属に票が流れた。長崎4区でいえば、地元で金子さんへの反感がある中でカネで票を買うようなイメージをもたれて、大失敗したということになりますね。岸田首相はそういう民意を読めなかった。で、敗戦につながった。春の補選では、情勢調査の数字が芳しくない中、4勝1敗と勝ち越した。そのおごりもあったのかもしれませんね」
“補選2勝から、所得税減税とバラマキで年内に解散総選挙”というシナリオを描いていた岸田首相だったが、徳島・高知選挙区が危ういとみるや、後半になって長崎4区では選挙区の有権者に『こんにちは、岸田文雄です。今回の選挙は金子容三さんでお願いします』という声を収録した「電話作戦」で攻勢をかけていた。
筆者は、「岸田首相からいきなり電話。びっくりした」という話を長崎4区の多くの有権者から聞いていた。
1勝1敗という結果を受けて、当面は解散総選挙を見合わせるしかない状況だ。10月22日には、埼玉県所沢市で自民党推薦候補が野党系候補に敗れているし、その前週には2議席を争った東京都議選の立川市選挙区補選が行われ、小池百合子知事の都民ファーストと立憲民主党の候補が当選し、自民党は議席を確保できなかった。自民党幹部が顔を曇らせる。
「選挙の責任者である小渕優子選対委員長は全く役に立たず、足を引っ張るばかり。任命責任は岸田首相にある。東京都や首都圏、地方でも岸田政権と自民党には渋い結果が出たということ。解散総選挙はとてもできない。臨時国会も減税、増税の話や旧統一教会問題で、かなりやられるだろう。先行きは不透明ということだ」