「警察改革の精神を忘れるな」――数年前に退官した警察幹部OBは、疑惑まみれとなった鹿児島県警が向き合うべきは、警察不祥事の続発を受け2000年に国家公安委員会が設置した「警察刷新会議」の『警察刷新に関する緊急提言』だと指摘する。たしかに、提言の《はじめに》で列挙された国内各地の警察組織による不祥事は、いずれも鹿児島県警が隠ぺいを図った事件と同じ構図だった。では、警察OBが「合わせて確認すべき」と勧める提言の《終わりに(結びにかえて)》は、何を訴えているのだろう。
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以下に、提言の締めくくりとなる《終わりに(結びにかえて)》を示す。
終わりに(結びにかえて)
提言を終えるに当たって、以下の三つのことを指摘しておきたい。
第一に、一連の不祥事を見るにつけ、国民に顔を向けず、組織の「上」ばかり見ている警察幹部が増えつつあるのではないかとの危惧を抱かずにはいられない。全警察職員は国家と国民に奉仕するとの原点に立ち戻ってほしい。困り苦しむ国民を助け、不安を抱く人々に安心を与えることこそ警察の真髄であり、また、警察職員の喜びの源泉でもあるはずである。雨の日も風の日も管内を徒歩でパトロールする「お巡りさん」の優しさと、悪に対峙していささかもひるむことのない「刑事」の強さこそ、国民が警察職員に求めるものであろう。そして、この両者を根っこで支えるものは、国民のために尽くすというひたむきな使命感にほかならないことを今こそ肝に銘じるべきである。
第二に、社会と市民生活の安全の確保は、国民と警察が責任を共有しながら自発的に協同してこそ初めて創出可能なものである。
私たちが提言の中で示した処方箋の中には、警察の人的、物的体制の強化のように国民の側の負担を伴うもの、警察署評議会(仮称)のように能動的に社会にかかわり責任を果たそうとする国民の存在を必要とするものなどが含まれている。
約5年前の阪神・淡路大震災の発生に際して、負傷した家族を振り切り、壊れた自分の家などを打ち捨てて直ちに職場に駆けつけた警察職員が、全国から集まったボランティアと手を携えて、傷つき又は助けを求める市民を救ったことは、私たちの記憶の中に鮮烈な感動を残した。あのときに国民と警察が共有した連帯感こそが今最も求められているものである。
この提言が契機となって、社会と市民生活の安全に国民が果たすべき責任についても議論が深められることを強く期待したい。
第三に、私たちはこの提言において警察が再び国民から信頼を回復するための基本的な処方箋を盛り込んだつもりであるが、こうして議論している間にも、時代の変化とそれに対応する国民の新たな意見、要望が現れており、警察は今後とも、これらを鋭敏に把握した上で、解決策を提示することを求められている。
ここで大切なことは、警察が受け身にならず、自ら改革案を提示できるだけの自発性と意欲を持ち続けることであろう。国民もまた、警察の信頼回復に向けた取組みを監視するとともに、必要な支援を行っていく必要がある。
一旦失われた信頼を回復するには、気の遠くなるような努力が必要とされるが、幹部が率先垂範して困難を克服し、私たちの示した提言に魂を入れるとともに、時代の要請にこたえる新たな改革案を国民の前に提示し、国民に愛され信頼される組織となるため最大限の努力をすることを強く要求する。
最後に、私たちは、今日もなお第一線現場で、多くの警察職員が、国民生活の安全のため、いろいろな困難を乗り越え、黙々と職務に精励していることを信じる。警察の刷新による国民の信頼の回復は、このような第一線現場における努力が一段と広まり、深まることによってはじめて、達成され得るものであることはいうまでもない。そのためには、警察職員が努力をすれば報われ、社会から感謝と尊敬を受け、誇りと使命感を持って仕事ができるような環境を実現させる必要があり、政府は、報償制度の充実その他の待遇改善にも努めるべきであろう。警察職員が誇りと使命感を持ち、一層国民に奉仕する意欲が湧き上がることにより、国民が安心して暮らせる安全な社会が実現されるのである。
何度読み返しても、鹿児島県警の現状を予見していたかのような記述ばかりだ。例えば、「国民に顔を向けず、組織の「上」ばかり見ている警察幹部」――。野川明輝本部長が警察官の犯罪行為を隠ぺいするよう指示したとすれば、それに黙って従った県警幹部がいたことになる。
これまで行われた県警の会見や県議会質疑で明らかになったように、別々の署員による2件のストーカー事件発生を許した霧島署の署長だった南茂昭氏には、本部長指揮による“もみ消し”や“隠ぺい”に加担した疑いがある。その南氏は、今年春の異動で警視正に昇進。B級署の署長から一足飛びに県警本部の生活安全部長に就任した。「国民に顔を向けず、組織の「上」ばかり見ている警察幹部」だったとみられてもおかしくない南氏が、本部長の覚えめでたく出世したということだ。
一方、“組織の上”である野川本部長の言動に危機感を持った本田尚志元生活安全部長の内部通報によって、闇に葬られるはずだった2件のストーカー事件や盗撮事件の真相が白日の下に晒されている。本田氏が“組織の「上」ばかり見ている警察幹部”ではなかったことは確か。彼が『警察刷新に関する緊急提言』の精神を忘れていなかった証左だろう。
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霧島署員による2件のストーカー事件を巡っては、南氏の登用だけでなく、怪しい人事の動きがまだあった。2件のストーカー事件を矮小化し、事実上のもみ消しにつなげた可能性のある本部人身安全・少年課の障子田穂積元課長は、やはり今年春の異動で栄転。なんと問題の霧島署で署長になっている。
ちなみに障子田氏は、2003年に鹿児島県警がありもしない選挙違反をでっち上げた「志布志事件」で警部補として捜査に参加。社会問題となった「たたき割り」という違法な取り調べを行い、地域住民を奈落の底に突き落としたブラック警官の一人だった。同事件では、父親や孫の名前に加え「こんな人間に育てた覚えはない」「正直になって下さい」などと記した紙を、力づくで踏ませるという「踏み字」が知られているが、障子田署長は罪のない女性に「私は選挙で焼酎2本とおカネ2万円をもらいました」と嘘の供述を強要し、道路側に向かって絶叫させるという「おらばせ」を行った張本人である。この人物が昇進、栄転を続けているのは、《組織の「上」ばかり見ている》からに他なるまい。
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警察刷新会議が提言の「終わりに」で示した《全警察職員は国家と国民に奉仕するとの原点に立ち戻ってほしい。困り苦しむ国民を助け、不安を抱く人々に安心を与えることこそ警察の真髄》を読んで、「恥ずかしい」と思っている鹿児島県警の警察官は少なくないはずだ。本部長の保身のため、幹部らが「警察一家」による何件もの性犯罪を隠ぺいしようとしたのは事実。県警は、その過程で泣かされた被害女性たちに改めて正面から向き合い、“国家と国民に奉仕するとの原点”に立ち戻って謝罪や説明を行うべきだろう。
事実上の事件もみ消しによって、野放しになったブラック警官やその関係者の影におびえる生活が現在も続いている被害者がいる。《困り苦しむ国民を助け、不安を抱く人々に安心を与える》という《警察の神髄》は、少なくとも鹿児島では失われたままなのである。
《国民のために尽くすというひたむきな使命感》も《警察が受け身にならず、自ら改革案を提示できるだけの自発性と意欲》も、野川氏ら県警幹部には無縁の言葉だ。さらに、幹部が隠ぺいに走った腐敗組織においては、《一旦失われた信頼を回復するには、気の遠くなるような努力が必要とされるが、幹部が率先垂範して困難を克服し、私たちの示した提言に魂を入れる》という処方箋も役に立たないものとなる。鹿児島県警に必要なのは、野川氏ら幹部の非違行為を検証し直し、『警察刷新に関する緊急提言』に沿った改革を行うことではないのだろうか。幕引きを図るために急ごしらえしたお手盛りの再発防止策には、何の意味もない。
緊急提言は、《はじめに》と《終わりに(結びにかえて)》で問題の概要と目指すべき道を示している。さらに、《問題の所在と刷新の方向性》に始まり《情報公開で国民に開かれた警察》、《苦情を言いやすい警察》、《監察の強化》、《公安委員会の活性化》、《住民からの相談に的確な対応》、《警察職員の責任の自覚》など8つの単元において問題点や改善策が詳細に述べられており、全国のほとんどの幹部警察官は内容をたたき込まれているという。
<中願寺純則>