11月17日投開票の兵庫県知事選で、県議会の不信任決議を受けて失職した斎藤元彦知事が、元尼崎市長の稲村和美氏、日本維新の会前参議院議員の清水貴之氏などを「午後8時当確」で下した。
斎藤氏については、パワハラや不透明な県政運営を内部通報されたことで百条委員会が設置され、現在も審議中。選挙中盤までは稲村氏が優位とみられていたが、そこに思わぬ“援軍”が現れた。「SNS」である。
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今年7月の東京都知事選で、石丸伸二前安芸高田市長が下馬評を覆して2位に躍進した。写真や動画をオープンにして、切り抜き動画や1枚の写真をつなぎ合わせるリールなどの情報を拡散してくれるデジタルボランティアを広く募った結果、現場にはチラシ配布や雑踏整備などを手伝う人が多く集まったという。ネット上には石丸氏を応援する動画などがあふれた。
こうして既成政党を震撼させたSNS戦術は、兵庫県知事選挙でも恐ろしいまでの効果を発揮した。斎藤氏が街頭演説を行う場所には、日を追うごとに人が集まるようになり、最後となった西宮市のショッピングモール前の演説には、交差点や陸橋を1,000人以上の支援者が埋め尽くした。
同氏が「グランドフィナーレ」と銘打ったマイク納めには、開始2時間以上も前から人が集まり始め、兵庫県警も出動。「反斎藤」を訴える反対派がプラカードを掲げて小競り合いになる中、多くの人がスマートフォンを斎藤氏に向ける。その写真、動画がSNSにアップされるとさらに拡散され、《#さいとうさん元知事頑張れ》《#躍動する兵庫》がさらに広がった。
演説で斎藤氏は「テレビや新聞の情報が本当に正しいのか。それともSNSなのか。よくみてほしい」と訴えると、その部分の動画が切り抜かれ10分ほどで拡散される。一方、稲村氏のXのアカウントに「デマ」情報が書き込まれると、それが真実であるかのように受け取られた。気づいて「反論」するも、時すでに遅し。なす術なく敗戦を迎えた格好だ。どういう仕掛けかがなされたのか判然としないが、稲村陣営のXのアカウントは、一時「凍結」される始末だった。意図的な原因があるなら極めて悪質。形を変えた選挙妨害だろう。
石丸氏は都知事選で「石丸方式」を展開する際、ベースとなる動画や人手を、一定の資金を投じて集めるという手法を用いた。しかし、斎藤氏にはそういう仕掛けがなかったにもかかわらず、400人とされるデジタルボランティアのSNSへの投稿は活発で、最後は情勢調査で負けていた稲村氏を抜き去って110万票を超す大勝利。テレビや新聞、選挙公報、チラシ、はがきという選挙ツールが、スマートフォン、SNSに敗れるという歴史に残る選挙だった。
だが、一方で「大きな溝」も生まれた。突然立候補したNHK党の立花孝志氏が、「私に投票せず斎藤氏に」と訴え連日ネット上に過激な活動の様子を投稿。斎藤氏は「立花氏とは面識もなく知らない」と困惑の表情だったが、当選後の会見でSNSについて聞かれると、「SNSでは厳しいことを書かれるので好きではなかった。しかし、実際に多くの人が集まってくれたことで、その力を実感した。皆さまにお礼を言いたい」とその“威力”に謝意を示した。“皆さま”の中に立花氏が含まれていることは言うまでもない。
19日、再選を果たした斎藤氏は兵庫県庁に登庁。表情は硬いままだった。県議会では百条委員会が現在も継続中で、25日には斎藤氏の証人尋問が予定されていたが、「公務多忙」を理由に出席を拒んでいる。
「職員との信頼を取り戻して、県政を前に進める」と初登庁で語った斎藤氏だが、県庁内は冷たい空気が流れる。「選挙で県民が斎藤氏を再度選んだことは認めます。ただ、一度パワハラなどで壊れてしまった信頼関係は元に戻らない。百条委員会ではパワハラを見聞きした職員も証言している。内部告発の内容がほぼ正解であったこともわかっているし、告発した元県民局長は自殺に追い込まれた。原因を作った斎藤さんと、本当に一緒にやっていけるのか……」
百条委員会の“良心”と呼ばれ、鋭い質問で斎藤氏を追求していた竹内英明氏が18日、県議会に辞職願を提出し認められた。過去の県議会の動画をみればすぐわかることだが、するどい質問を斎藤氏や県幹部に浴びせていたのが竹内氏だ。竹内氏の同僚県議が、次のように打ち明ける。
「知事選の告示からしばらくして、斎藤さんこそ正義で悪いのは県議会だなどとSNS上で批判が巻き起こりました。すると竹内さんだけではなく、家族にまで嫌がらせなどがあったと聞いています。恐怖から精神的にまいってしまったんでしょう。こんなやり方がまかり通るかと疑問です。だが、斎藤知事が正義だなんてことはあり得ない。内部告発文書にあった知事のパワハラやおねだりについては、百条委委員会でいくつもの証言が出ており、この問題に絡んで2人が亡くなっているのも事実じゃないですか。立花氏の過激なSNS投稿に呼応した人たちが、竹内氏を追い込んでいったという話もあります」
斎藤氏はインターネット放送で内部告発について「すごく問題点の本質をとらえておられるな、共感した」と絶賛した。しかし、立花氏が流したのは、亡くなった人の女性問題など裏付けの取れていない伝聞ばかり。証拠を出せと言われても難しいのではないだろうか。
県会議員の議会における活動を取り上げ、事務所となっている自宅に押し掛けてインタホンを鳴らし、「これ以上脅して自死しても困る」とまで話すことが「選挙運動」であるはずがない。議会の場で意見が対立する相手を、暴力的な行為を以て畏怖させ、政治の舞台から引きずり下ろすようなマネが斎藤氏勝利の要因の一つだというなら、それは議会制民主主義の否定だ。「分断」を招くことにつながるネット選挙では、よりよい社会は築けない。