江差看護学院パワハラ訴訟、遺族が2度目の陳述|弁論再開で「父母の会」関係者も傍聴

 本サイトで報告を続けている北海道立江差高等看護学院のパワーハラスメント問題で8月上旬、教員のパワハラを苦に自殺した男子学生の遺族が起こした裁判の2回目の口頭弁論が函館で開かれ、原告の遺族が改めて意見陳述に臨んだ。傍聴席には2021年に一連の被害を告発した学生・保護者の集まり「父母の会」関係者も足を運び、目を潤ませながら新たな証言に耳を傾けた。

 ◆   ◆   ◆

 2019年に亡くなった男子学生(当時22)の母親(49)が江差看護学院の設置者・北海道に損害賠償を求める裁判を起こしたのは、昨年9月。学生の自殺については第三者調査によりハラスメントとの因果関係が認められており、道もその結果を受けて遺族に直接謝罪していた。ところがその後の賠償交渉では一転、道が「手のひら返し」を決め込み、先の因果関係などを真っ向否定する姿勢を見せることに。遺族が訴えを起こさざるを得なかったのは、こうした対応に不信感を募らせたためだった。

 裁判の舞台となった函館地方裁判所では提訴後の10月下旬に最初の口頭弁論があり、学生の母親が裁判に込める思いを陳述していた( 既報 )。その後、同年12月から本年7月まで計4回にわたって非公開の弁論準備手続きが重ねられてきたが、初弁論から8カ月が過ぎる本年8月5日午後、公開の弁論が再開されることになり、函館地裁の法廷(五十嵐浩介裁判長、大門真一朗陪席判事、北岡憧子陪席判事)で原告が改めて意見陳述に臨んだ。

 証言台に着いた原告女性は、生前の長男とのやり取りを振り返り「あそこは理不尽なことが多い」「先生たちは生徒を奴隷のように思っている」などの言葉を再現した。息子の報告に驚いた女性が学校に問い合わせを寄せようとすると、次のように止められたという。

 「学校の指導方法がおかしいと思い、息子に『学校に言おうか』と尋ねましたが、息子は『言っても相手にされないと思う』『おれはなんとかするから、大丈夫だから』と述べておりました」

 レポートの提出が間に合わなかったとの理由で(実際には間に合っていたとされる)留年を余儀なくされた際にも、長男がそれを報告してきた電話で以下のようなやり取りがあったことが明かされた。

 「私は『前からときどきおかしなことがたくさんあるけど、学校にママから訊くかい』と回答しましたが、息子は『やめて、言わないで。言ってもごまかされて終わりだから』『おれ、来年頑張るから…』と述べておりました」

 さらにその翌年、教員から「教室に来なくていい」と言われた長男が実家への電話でそれを報告した際も、母親である原告女性は学校へのアプローチを提案した。だがこの時も長男は「やめて欲しい」と言い募ったという。

 「息子に『やっぱり腑に落ちないから電話しようか』と尋ねましたが、息子は怯えたように半分泣きながら『本当にそれだけは辞めて、もっと先生たちからの当たりがキツくなるから』と私の提案を拒否しました」

 傍聴席から陳述を見守り、落涙しながら「うちとまったく同じ」と頷くことになったのは、当初のパワハラ告発を担った「父母の会」に参加する女性。江差のハラスメントで休学を余儀なくされた長男(在学中)がかつて、原告女性の長男と同じように「学校には何も言わないで」と口にすることがあったという。

 「亡くなったお子さんの気持ちがよくわかります。私の息子も怯えたように『学校に言われたら困る』と。…うちは幸い休学させることができましたが、本当に紙一重だったのだと思います」

 弁論後、女性は裁判所の廊下で初対面の原告女性に「何か力になれることがあったら」と声をかけた。道を相手に一人で闘ってきた原告女性はこの時、初めて「父母の会」と繋がりを得ることになり、同じ被害を知る援軍に意を強くしていた。

 裁判は次回から再び非公開の弁論準備手続きに戻り、10月24日午前にも同手続きが行なわれることになっている。

 結びに、原告女性の意見陳述の全文を以下に引用しておく。

 今回、息子が江差高等看護学院に入学してから亡くなるまでの間、私が息子と会話をした学校の指導に関する内容の一部について、これからお話しします。

1. 息子が1年生の平成28年9月ごろ、息子は「あそこは理不尽なことが多い」「先生たちは生徒を奴隷のように思っている」「生徒への対応に差がある。レポート提出で何の指定もないのに、提出したらなぜか駄目だと言われる。どこが駄目かと訊いても『自分で考えろと』しか言われない。長くても短くても駄目で、内容はほとんど変わらないのにОKの人とやり直しの人がいる。正解があるのかわからない」「どこが駄目なのか、みんなで較べるんだけど、みんなバラバラだからどこが駄目なのかわからないんだよね」などと言っていました。

2. 息子が2年生になった平成29年4月ごろ、息子は「レポート受け取ってもらえない時があり、先生に声をかけても無視をされたり『忙しい』って言われたりして、話を聞いてもらえない」「先生から『こっちだって忙しいんだから、ちゃんと伺い立てるとか、こっちの予定訊いてちゃんと時間の調整してもらわないと困る』とか言われる」「気に入られていると、そんなことないんだけど」などと述べ、私は「何なの、その差のある教え方。なんで平等じゃないの。教える気あるの。看護師を育てる気ないじゃん」と内心思いました。

3. 息子が2年生の10月ごろ、息子は「レポート出しても駄目って言われるし、どこが駄目か訊いても教えて貰えない。何度も書き直しても全部駄目って言われる。最後ギリギリまで直して渡すと、仕方なさそうに ОKを貰えるけど、最初とあまり変わらない状態のレポートなのに、なんでOKなのかわからない」「だったら最初に提出した時にOKでもよかったのに」「今年、男性の先生が来て、すごくいい先生なんだ。でも生徒のことを思ってほかの先生に発言したら、そこから職員同士のいじめが始まって、辞めてしまった。すごく悲しい。本当に生徒思いで、あれが本当の先生だと思う」「長くいる先生の言うこと聞かないと、先生でもいじめられて排除されるんだ、生徒に対してもそうだし」「加えて、その先生は半年ぐらいで精神的に病んで学校来れなくなって辞めたけど『道からの補助金が貰えなくなるから、まだその先生がいることにして補助金は貰ってる』とかの話も出てる」などと話していました。

 またその頃、息子は先生たちの言い分として「自分たちが厳しく理不尽なことをするのは、社会に出てたら当たり前の事。だから今のうちに慣らすため。あなたたちのため」などと述べておりました。

 私は、学校の指導方法がおかしいと思い、息子に「学校に言おうか」と尋ねましたが、息子は「言っても相手にされないと思う」「おれは何とかするから、大丈夫だから」と述べておりました。

 それからしばらくして、息子から電話があり、泣きながら「提出物が時間に間に合わなかったって理由で、単位を落とした」「本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。迷惑をかけて」と連絡がありました。

 私は「大丈夫。気にしないで。お金のことも何も心配いらないよ。どうしようもなくなったら実家に頼むから」と息子を慰めると、息子は「本当にごめん」「頑張るわ。ママありがとう」と話しておりました。

4. 年が変わり、平成30年2月ごろ、2年生の終わりの時期に息子は、電話で私に「テスト受けさせて貰えなかった」「単位落として来年やり直すんだから、やらなくていいって…」「『受けさせて欲しい』って言っても、駄目だって。受ける必要ないって…」と、がっかりした様子で話し、私は「たしかに来年もう一度やるけど、受けられないのっておかしくない?」「前からときどきおかしなことがたくさんあるけど、学校にママからどういうことなのか訊くかい」と回答しましたが、息子は「やめて、言わないで。言ってもごまかされて終わりだから」「おれ、来年頑張るから…」と述べておりました。

 また同じころ、私が息子の家を訪ねた時、息子は「この前、理不尽は生徒のためって言ったけど、ほかにも『私たちは毎年10人落とせる権限を持ってるんだ。落とされたくなかったら私たちに従え』みたいなこと言ってた…」「学生たちは、先生たちの気分次第で落とされていく」「…中には授業について行けなくてとか、自分は向かないって辞めた人もいるみたいだけど、入学した全員を3年間で全員卒業させる気はないみたい」「人数減らして、国家試験の合格率と就職率上げてるみたい」「なんかおかしいと思ってたんだよね。この学校に地元出身の生徒が誰もいないの。それっておかしいでしょ。地元の子たちは札幌や他ほかの看護学校に行くんだって」「それって、地元の人たちはここの学校ヤバいって知ってるからだよね。同じ看護師の免許取れるんなら、自宅からも通えて授業料も安いなら地元の子が多くてもおかしくないのに…」という話をしておりました。

5. 息子が留年し、2回目の2年生となった平成30年5月ごろ、私は電話で息子に最近の様子を尋ねました。すると息子は「去年単位取れてるものは教室来なくっていいって言われて、教室に行ってない」と話しました。私は「それなら1回ゆっくり家に帰って来る? たまにじいちゃんの手伝いでもいいし、掃除の会社に連絡取って仕事あれば掃除の仕事でもいいし、気分転換できるんじゃない」と言いましたが、息子は「駄目なんだ。図書館で勉強してないといけなくて」「教室行けなくても、学校行かないと行けないから」「もう1回授業聴いて勉強の再確認をしたいって言ったけど、駄目だった」と話していました。

 私は、学校の対応がおかしいと思い、息子に「やっぱりママ、腑に落ちないから電話しようか」と尋ねましたが、息子は怯えたように半分泣きながら「本当にそれだけはやめて。もっと先生たちからの当たりがキツくなるから」と私の提案を拒否しました。

 その後、息子は私に学校の話をあまり言わなくなっていきました。

6. 息子が3年生になった平成31年4月ごろ、私は連続で実習がスタートとなる息子の様子が心配で、電話で様子を尋ねました。

 息子はその時「最初の実習の担当が小児の先生なんだけど、かなり厳しいっていうか、相性悪い…」「ほかのグループは別の先生なのに、おれたちの時だけなぜか先生が違うんだよね」「なんか嫌な意図、予感を感じる。この先生だと単位取るの難しいし、寝れないくらい忙しくなる。他の先生でも忙しいのはあるけど、この先生はとくにひどい」と話しておりました。

 その後も、実習が終わるころに息子に電話やメールで様子を尋ねましたが、いつも「何とか終わった。よかった」としか話してくれず、私に心配をかけまいと思ったのか、また私が学校に抗議することを危惧してなのか、具体的な先生の指導の内容は教えてくれませんでした。

 ただ、平成31年6月ごろ、私の父が入院している間、実習終了後に私は息子を迎えに行き、週末、実家でともに過ごしましたが、その際、息子は「家に帰るとホッとする」「安心する」とは言っておりました。

 そして、この年の9月18日に今回の事件が起きました。

(小笠原淳)

【小笠原 淳 (おがさわら・じゅん)】
ライター。1968年11月生まれ。99年「札幌タイムス」記者。2005年から月刊誌「北方ジャーナル」を中心に執筆。著書に、地元・北海道警察の未発表不祥事を掘り起こした『見えない不祥事――北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない』(リーダーズノート出版)がある。札幌市在住。

 

 

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