ロシア黒海艦隊の旗艦である巡洋艦「モスクワ」が沈没した。ロシア側は14日、「火災が起きて弾薬が爆発し、曳航中に沈没した」と発表した。一方、ウクライナ側は「対艦ミサイルで攻撃し、沈めた」と公表した。
どちらの説明に説得力があるかは明らかだ。「モスクワ」はウクライナ軍によって撃沈されたのである。
日本の新聞はそれぞれこのニュースを伝えたが、核心をつく報道はきわめて少ない。朝日新聞は16日、ロシア国営タス通信の報道とウクライナ側の発表を並べたうえで、「炎上、沈没」「攻撃・防空両面で打撃」と報じた。読売新聞も「露艦隊、防空網に打撃」と伝えた。
巡洋艦「モスクワ」が攻撃、防御の両面で大きな役割を果たしていたことは間違いなく、従ってロシア黒海艦隊にとって「沈没が大きな痛手」であることは疑いない。だが、どちらの新聞も「もっとも重要なこと」にまるで触れていない。報道する記者たちが「艦隊にとって旗艦とはどういう意味を持つか」を理解していないからである。
旗艦が持つもっとも重要な機能は「作戦の立案・実行と指揮・命令の伝達」という点だ。旗艦には司令官だけでなく、艦隊全体の作戦を立案する高級参謀や情報分析・通信解析を行う情報将校が乗り込む。「艦隊の頭脳」が集中しており、彼らが必要とする電子機器や通信設備もすべてそろっている。
日米戦争の口火を切った真珠湾攻撃の戦史をひも解けば、連合艦隊の旗艦「長門」がどういう役割を果たしたかがよく分かる。航空母艦を中心とするハワイ攻撃の機動部隊をどう動かし、何を攻撃するか。作戦はすべて旗艦「長門」で立案され、命令・実行された。旗艦とは艦隊の「頭脳」であり、「中枢」なのだ。
敵を攻撃したり、敵の攻撃から味方を防御したりする機能は、ほかの軍艦をいくつか集めれば代替可能だ。だが、「頭脳」が破壊され、機能不全に陥った場合、それに取って代わるのは容易なことではない。極めて深刻な事態に陥る。
そういう観点から見た場合、手元にある16日付の新聞でその意味合いを的確に報じたのは産経新聞だけだった。「司令塔失い 作戦打撃」と大きな見出しで報じた。旗艦が撃沈されれば、「司令塔」が失われ、「中枢機能」がマヒする。つまり、ロシアの黒海艦隊は「頭脳」を吹き飛ばされてしまったのである。
ウクライナ側は対艦ミサイルで「モスクワ」を攻撃したようだが、攻撃するためには「モスクワ」の位置を正確に把握していなくてはならない。軍事衛星などを駆使して、その動向を的確に押さえているのはアメリカ軍であり、イギリス軍だろう。米英の軍事情報がウクライナ側にリアルタイムで伝えられた、と考えるのが自然だ(米英は決して公表しないだろうが)。
日本メディアの多くは、旗艦の撃沈というニュースをなぜ的確に報道できないのか。きつい言い方をすれば、この間、戦争というものにきちんと向き合おうとせず、現場に記者を出して鍛えることを怠ってきたからではないか。
2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した際、首都キーウ(キエフ)から情報を発信した日本の報道機関は共同通信くらいだった。ほかは、安全なウクライナ西部やポーランドに記者を退避させた。キーウ周辺からロシア軍が撤退し、各国の外交官が戻ってきた時点でおずおずと記者を首都に送り込んだのが実情だ。
何かを報じようとするなら、可能な限り現場へ。そこで何が起きているのか、自分の目で見、話を聞いて伝えなければならない。それが報道機関に課せられた使命である。だが、日本の主要メディアの多くはその役割を放棄した。「原稿より健康」が大事であり、「命は何ものにも代えがたい」からである。
お題目は立派だ。だが、ギリギリまで現場に肉薄するという覚悟なしに戦争を伝えることができるのか。極限近くまで追い込まれるから、記者は「戦争とは何か」を深く考え、その意味を知ろうと必死にもがく。その積み重ねが大事な時に生きてくるのだ。
欧米の記者たちは、かつてと同じように戦争の実相に迫る努力を重ねている。日本の報道機関の多くは「これまでしてきたこと」を放棄した。その結果が今回のウクライナ侵攻をめぐる報道の惨状であり、旗艦撃沈をめぐるトンチンカンな記事の数々ではないのか。
(長岡 昇 : NPO「ブナの森」代表)
*本稿は、インターネットの情報サイト「情報屋台」にも掲載
長岡 昇(ながおか のぼる)
山形県の地域おこしNPO「ブナの森」代表。市民オンブズマン山形県会議会員。朝日新聞記者として30年余り、主にアジアを取材した。論説委員を務めた後、2009年に早期退職して山形に帰郷、民間人校長として働く。2013年から3年間、山形大学プロジェクト教授。1953年生まれ、山形県朝日町在住。
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*各紙の内容と見出しは、山形県内で16日に配られた新聞による。