大手メディアの報道が内閣改造と党人事一色となった。こうして新しい出来事に目を奪われるため、重要な政治課題が議論を尽くす暇もなく過去の出来事になっていく。本当にそれでいいのか?
■消えた防衛費増額問題
7月下旬、フランス旅行に浮かれた自民党の女性議員たちが、エッフェル塔の前でポーズを決める写真をSNS上に投稿して大炎上。国民が諸物価高騰で苦しむ中での愚行であり、同党の議員が、国民の感覚とズレていることを証明した格好となった。世論の猛反発にたじろいだ自民党は、お荷物となった女性局長を更迭、幕引きを図った。
不思議なのは、政治家の海外旅行に怒りの声を上げるこの国の主権者が、防衛費を5年間で現在の約1.6倍となる43兆円にまで増やすという、昨年12月に決まった政府の方針にさして反対しなかったことだ。中国、北朝鮮、ロシアといった危険な国が動きを活発化させているという前提があるにせよ、その後、この問題が深く議論されたという話は聞こえてこない。増額反対の論陣を張る特集記事も、寡聞にして知らない。
「国防のためなら当然」という積極的な賛成なのか、「国がやることに反対しても仕方がない」というあきらめなのか分からないが、どちらであるにせよ積み上げ分の積算根拠や自衛隊自体の対応力が議論されることなく、「金額ありき」で方針が決まったことは確かだ。
■疑わしい算出根拠
岸田文雄政権の方針は、2023~27年度の5年間の防衛費総額を、2017年度~2022年度計画の1.6倍に相当する43兆円に増やすというもの。2022年12月に防衛省が公表した「防衛力整備計画について」では、43兆円の内訳を次のように説明している。
「防衛力整備計画について」では、この後、区分ごとに「主な事業」についての必要額が記載されているが、いずれの数字も積算根拠は示されておらず、高いのか安いのか分からない。“過大な数字を並べたのではないか”という疑念は払拭できない。
防衛装備品の調達費を巡っては、度々疑惑が浮上し、背任事件に発展したケースもあった。戦闘機、自衛艦から制服や食糧に至るまでと防衛装備品の幅は広いが、防衛省に納める装備品は特殊なものが多いため、一般人には適正価格が分かりにくい。「国土防衛のため」と言われれば、なんでも通るような世の中であることも、調達費のブラックボックス化に拍車をかけているように思える。
■根拠に乏しい「GDP比2%」
日本の歴代内閣は、防衛費をGDP(国内総生産)比1%以内にする方針を堅持してきたが、岸田首相は、これをGDP(国内総生産)比2%にすると決めた。なぜ2%にしなければならないのか――そのことについての説明はない。もちろん、予算を積み上げた結果ではなく、岸田首相が「2%ありき」で考えた末の愚行に他なるまい。おそらく右派への忖度なのだろうが、これがリベラル派として知られた誇りある「宏池会」を継いだ政治家のやることなのか――。
国が必要だという防衛装備品の取得と施設整備には43兆5,000億円かかるという。現行計画の1.6倍だ。このうち27兆円は5年以内の支出分で、残り16兆5,000億円は28年度以降に繰り越すことになっている。
下の図は「防衛力整備計画について」の1ページ目だが、防衛省の説明資料は、実に分かりやすく作成されている。しかし、庶民感覚では理解できない巨額な金額が動く防衛予算の組み立てに、ついていける国民は少ないはずだ。図にある「1兆円」という文字の、なんと軽いことか。
■自衛官約25万人、中国軍200万人超の厳しい現実
右派から圧倒的な支持を得ていた安倍晋三元首相でさえできなかった防衛費のGDP比2%を実現した岸田首相。5年間で43兆円もの防衛費を使うというが、装備を一新して兵器を増やしたとして、本当にそれらを使いこなすことができるのか疑問だ。
下の表は、防衛省が公表している2022年3月時点での自衛官の定員及び現員と充足率だが、定員24万7,154人のところ23万754人しかおらず充足率は約93%でしかない。残念ながら、これから先も、自衛官の数を増やす見通しは立っていないという。
一方、目下最大の仮想敵である中国人民解放軍の兵員は、陸・海・空などすべて含めて200万人を超えているとされ、我が国の約10倍。「ミリタリーバランス2022」を参考にした防衛省の公表資料によれば、中国との戦力差は歴然だ(*下参照)。
2023年度の中国の防衛費は1兆5,537億元=約31兆740億円、日本は6兆6,001億円である。5年間で43兆円という我が国の国防費の7割以上の額を、中国は1年間で費消するというわけだ。中国の軍事費は年々増大しており、次年度はさらに増える見込み。畢竟、戦力差は開く一方となる。軍拡競争に挑む形となった岸田政権の方針は、周辺諸国を悪い意味で刺激し、さらなる軍拡競争を招く恐れがある。
右寄り急旋回した安倍晋三政権以来、「戦争ができる国」を目指す自・公の政治を認めてきたのはこの国の国民だ。特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、安保法制、武器輸出3原則の放棄、共謀罪法と、戦後70年以上かけて先人たちが築き上げてきた「平和国家」の土台を、自公政権は数の力で崩した。そして岸田首相の防衛費増額――。歴史的にみれば、危険な兆候と言うべきかもしれない。
政治家による遊び半分の海外研修はもちろん批判の対象だが、深く真剣な議論を継続しなければならないのは「本当の国防、本当の安全保障とは何か」という課題だろう。軍備増強に走って国民に塗炭の苦しみを与えたあげく、国家存亡の危機を招いたのは戦前の指導者たち。その歴史を振り返ることは、過去と未来の間に生きる、私たちの義務ではないのか。
(中願寺純則)