《報道でご承知とは思いますが、当所でも職員の方がコロナウイルスに感染し、陽性と判明しました》――現職刑務官の新型コロナウイルス感染が判明した北海道・旭川刑務所から、収監中の受刑者が施設内の状況をつぶさに記録した報告が届いた。便箋7枚に及ぶ書簡には、被収容者への告知に先立つ所内の異変や感染確認後の処遇の変化など“有事”に直面した施設の緊張感が生々しく書き留められている。
■夜中に消えた受刑者
獄中報告を綴ったのは、これまでにも何度か筆者とやりとりのあった60歳代男性受刑者。知人を殺害して懲役20年の実刑判決を受け、2017年から旭川刑務所で服役している。今回の報告が含まれていた書簡は7月26日までにまとめられ、筆者のもとに速達郵便で送られてきた(同27日消印)。
報告によると、感染発生の所内告知があったのは旭川市の報道発表日と同じ20日の朝。前日の夜にはすでに、その兆しがみられていたという。就寝時刻を報らせるチャイムの音とともに、異変は起きた。
《廊下で、声はしないが何人もの靴音が静かに響きました。そして、数部屋の鍵の開く音。一つや二つではなく、複数の居室の鍵が開けられたようです。「何か違反行為でもあったんだろう」と思いましたが、一向に連行する職員の声は聞こえません》
その夜、廊下からは「台車が何台も運ばれる音」や「私物や布団などが積まれる音」が聴こえ続けたという。普段とは違う空気を感じながら眠りに落ちた受刑者は、翌20日の朝には前夜の異変をすっかり忘れていた。違和感が再び頭をもたげたのは、午前6時55分の「朝点検」が終わった直後のことだった。
《終了時「C棟下総員37名」との声が聞こえました。「あれっ?」。前日は「44名」だったのに、何故? その瞬間「あっ」と、すぐに昨夜の異変を思い出しました。間もなく配食が開始され、またしても「おやっ?」と思いました。いつものメンバーじゃない?》
《出役の準備をしていると突然、告知放送が始まりました。「コロナウイルスに感染した疑いのある職員が出たため、結果が判明するまでの間、居室待機とする」――不思議とこの時、各居室からは驚きの声も上がらず、みんな固唾を呑んでいるようでした。私は「俺もとうとう死ぬ時が来たのかな」との考えが一瞬、脳裏をよぎりました》
■刑務官が配食作業
国の「緊急事態宣言」が解けて再稼働していた刑務作業の工場は、この日から再び閉鎖され、屋外で認められていた運動も「居室内運動」となった。報告者が訝った「37名」は、同棟の服役者「44名」に7人足りない数。まさにその7人が当該刑務官との濃厚接触を疑われていたことになる。その全員が「配食」を担当する受刑者だったため、翌日からは職員が配食作業に就くことに――。その中には「金線」と通称される幹部職員も含まれていたといい、報告では驚きとともにその様子が再現されている。
《食事の盛り付けから各居室への配食、ポットへの茶入れと配布、空下げと残飯の収集、そして廊下など汚れた箇所のモップ掛けの清掃と、見ていると申し訳なくなるような光景でした。気のせいか、いつも感じる威圧的な雰囲気や大きな声での命令口調は無くなり、我々のような者たちにも気を遣ってもらうようなことに、一種の感動を覚えました。変な言い方ですが「官と囚の一体感」あるいは「全員一丸となり危機を乗り越える」ような雰囲気になったのは事実です》
旭川市保健所によると、感染が確認された刑務官の濃厚接触者は先の受刑者たちや同僚職員を含めて54人。この全員がPCR検査を受け、すでに陰性が確認されているという。獄中報告の主は新聞報道でそれを知り、胸を撫で下ろした。
《正直「良かった!」と心から思いました。まだ隔離は続いていますが、クラスターにならなかったことに安堵しました》
《この日は「海の日」の祝日菓に「かりんとう」が支給されました。「ホッ」としたのも手伝って、とても美味しく感じました(笑)》
毎日の行動が管理され、特別な例外を除いては決して塀の外に出ることを許されない受刑者たち。逃げ場のない閉鎖空間に突然訪れた感染症の恐怖は、想像するに余りある。報告を寄せた男性受刑者は7月26日時点でなお「待機」状態にあるといい、施設では今も静かな緊張が続いているようだ。
※ 寄せられた獄中報告の全文を、8月中旬発売の月刊誌『北方ジャーナル』で公開予定。
(小笠原淳)
【小笠原 淳 (おがさわら・じゅん)】 ライター。1968年11月生まれ。99年「札幌タイムス」記者。2005年から月刊誌「北方ジャーナル」を中心に執筆。著書に、地元・北海道警察の未発表不祥事を掘り起こした『見えない不祥事――北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない』(リーダーズノート出版)がある。札幌市在住。 北方ジャーナル→こちらから |