収束に向かうどころか、日ごとに増える新型コロナウイルスの感染者。緊急事態宣言の発出で一時的に減った患者数は、自粛解除で再び増加に転じ、連日「過去最多」を更新する勢いとなっている。
「第2波」を疑う余地はないが、新聞やテレビが発信する情報の中心は“感染者の数”で、「増えた」「減った」に一喜一憂させられているのが現状だ。だが、これが国民にとって本当に有意義な情報発信の在り方なのだろうか。
■感染者数を競って報じる大手メディア
下は、今月28日の読売、毎日、朝日の朝刊紙面だ。国内で新型コロナの感染が拡大するようになってからは、ほとんどの新聞の紙面に連日こうした表が掲載されてきた。
コロナ報道の軸になっているのは「感染者数」で、見出しには例外なく「全国で○○人」「福岡でコロナ●●人」が使われる。もちろん、新型コロナへの政府や自治体の対応、医療現場の窮状、感染者への差別問題、ワクチンや特効薬開発の進捗具合といった様々な課題も記事化されている。しかし、国や自治体で発生する1日の感染者数を、競って「速報」で流す姿勢は相変わらず。そこに「マスコミが不安を煽っている」との指摘が向けられる。
感染者や死者の数を競って報じることには、賛否があって当然だ。まず、「やるべきだ」という意見には一理あり、感染者が増える状況を国民が知ることで「三密を避けよう」「不要不急の外出を避けよう」「手洗い、マスクを心がけよう」という意識が働く。数を伝えることが、一定のコロナ抑止につながるのは確かだろう。
一方、「withコロナ」を前向きにとらえ、経済活動を活発化させるべきだと考える人たちは、感染者と死者の数に比重を置いた報道には否定的となる。「怖がるばかりでは、前に進めない」(福岡市のある若手経営者)というわけだ。
■不足する症状や感染経路の情報
では、国民が求めている情報とはどのようなものなのか――?こうした問いへの答えを見つけようとすれば、テレビのワイドショーでもっともらしい解説をしている連中の話より、主婦の声の方が的を射ている場合がある。
先日、子育て世代のお母さんから「感染した人の症状、入・退院の状況などについての情報発信がほとんどないので不安になる」という話を聞いた。2人の子供を小学校に通わせているそのお母さんは、「無症状というケースがあるらしいですが、どういうことか?軽症、重症、重体はそれぞれどのくらいいるのか?無症状の人は、どのように過ごしているのか?疑問点は増える一方なのに、新聞やテレビは何も教えてくれない。クラスターが出た場合も、発生場所が公表されるケースとされないケースがある。訳が分からない。子供にどう伝えたらいいのかで悩んでいるママ友は、たくさんいる」と嘆く。
確かに、危機感を煽るようなニュースばかりで、感染者の詳しい症状や全快した人の数はほとんど報じられていない。感染経路にしても、情報はほとんど無いに等しい。クラスターが出たことが分かっても、発生源となった店名や施設名が公表されるケースとそうでないケースがある。子育て世代の親御さんに限らず、求める情報が得られないもどかしさを感じている国民は少なくないだろう。
背景にあるのは、未知のウイルスに対する備えの甘さ――つまりは油断だ。新型コロナの感染拡大が進む過程で明らかになったのは、マスクの備蓄、医療体制、情報開示の基準といったウイルス対策に直結する「準備」が、何もかも不足するか、あるいは全くなかったという厳しい現実だった。安倍政権の危機管理能力は、悲しいほどに欠如していた。さらには地方自治体もマスコミも、今回の事態に正面から向き合えているとは言えまい。
感染情報の開示方法は、自治体によってバラバラ。感染経路が明示されないケースが多いため、フェイク情報が氾濫し、関係のない人が被害を受けるケースは後を絶たない。感染者の病状や入・退院の実態を知っているのは自治体だが、まず発表されるのはその日の感染者数で、他の情報は皆無に近い。報道の記者たちは、数を追うのに必死で、深掘りができていない。結果、国民が本当に知りたい情報は隠された格好となり、不安を煽るような数字ばかりが並べられることになる。
新型コロナの水際対策に失敗した後、何もかもが後手に回り、アベノマスクや給付金で批判を浴びる政府に一番の原因があるのは間違いない。しかし、地方自治体とマスコミにも、応分の責任はある。
クラスターの発生場所や感染経路が詳しく公表されれば、関係者が早めのPCR検査を受けられるようになるのは確かだ。感染者の状態や、症状別の人数がハッキリすれば、新型コロナをより正確に理解することにつながるだろう。ならば、役所は今まで以上に感染状況をオープンにし、マスコミは報道の在り方を変えるべきだ。「withコロナ」は、その先にこそある。
(中願寺純隆)