肺の疾患で入院中だった小川洋福岡県知事が「肺腺がん」であることを、県が会見を開いて公表。主役であるはずの県民を置き去りに、知事の辞任を前提とした県内の“政局”が一気に動き出した。
しかし、県のホームページ上に掲載されたのは、3月末まで職務代理を置くことの告知だけ。病状には触れない形となっており、その言い回しも微妙なものだった。
小川知事は、令和3年3月31日まで職務に専念することができないので、その間、知事の職務は、地方自治法第152条第1項の規定により、服部誠太郎副知事 が引き続き代理することになりましたので、お知らせします。
「職務に専念することができない」のであって、県議会や県庁といった公の場に「出て来れない」とは書いていない。つまり、「まだやるぞ」と言っているようなもので、「辞任」を前提とする動きを牽制した格好だ。
確かに、知事自身が「辞任する」と公言したわけではなく、県側も進退については口を閉ざしたままだ。だが、3月末まで職務に専念できないという状態は、“県政のトップリーダーとしての役割を果たせない”と同義。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて緊急事態宣言の発令中で、しかも2021年度予算の内容を審議する県議会が開かれる時期であることを考えれば、曖昧な状況を引きずるやり方には賛成できない。「病気だから仕方がない」「知事がかわいそう」との主張も、この局面では説得力を持たない。
今月から、新型コロナのワクチン接種という、まさに国家を挙げての事業が始まる予定だ。地域ごとの事情に合わせて混乱のないよう接種を進められるかどうかは、首長の手腕にかかっている。「知事不在」では話になるまい。
22日から始まる県議会で審議されるのは、コロナで疲弊した県民の暮らしに直結する新年度予算だが、職務に専念できない知事の提案した予算が通ったとして、決算についての責任はだれが負うというのか――。
前例のない事態のなかで山積する課題を、“代理”にすぎない副知事が本当に責任をもって処理できるかというと、おそらく無理だ。副知事は選挙で選ばれた「政治家」ではなく「役人」。同じ判断をしたとしても、県民の負託を受けた知事のものと、知名度ゼロに近い役人のそれとでは重みが違う。当然、責任の所在も曖昧になる。平時には“代理”という形が機能するが、非常事態下では通用しないということを、県や県議会は自覚すべきだろう。
ハンターは今月8日、前日の7日までに『県の幹部が九大病院に呼ばれて知事の容体について説明を受けた』ということと、『数日中に何らかの発表がある』という見通しになったことを速報で流した。事態はその通りに動いてきたが、知事の「辞意」は西日本新聞だけが断定的に報じ、他紙もこれを認める格好の記事で後追いしている。(下は、10日の西日本新聞朝刊1面)
「辞意」が事実か否かについて論じるつもりはさらさらないが、小川知事が「3月31日まで職務に専念することができない」状態で、職務代理を置かざるを得ないというのは、県が公表した紛れもない事実である。一番の問題は、“辞めるか辞めないか”ではなく、トップリーダーの的確な判断が求められる重大な局面に、その地位と権限を与えられた小川氏が、知事の椅子に座っていないということなのである。
もちろん、現在の状況で知事選の候補を詮索するのは愚の骨頂。事情を知らずに騒ぐ輩の言説など無視して、「主役は県民」であるはずの県政のあるべき姿について、しっかりと考えることが肝要だ。
15日には県議会代表者会議で副知事が小川知事の病状について説明、22日には新年度予算を審議する県議会が開会する予定となっている。
知事の「辞意」が事実なら、正式表明の機会となるのは、まず15日と22日。ここで明確な意思表示がなければ、3月末まで緊張状態が続く可能性もある。
重ねて述べるが、新型コロナの危機の中、新年度予算を審議する局面での知事不在は許されない。総理大臣不在のまま、国家予算が国会を通るのかどうか、考えてみれば分かることだ。
(中願寺純隆)