極右組織・参政党の新憲法案と「神の国発言」
2000年5月、森喜朗首相(当時)がある会合で「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく」と述べた。いわゆる「神の国発言」だ。森氏は、国民主権や政教分離を否定した戦前と同じ考えだとする世論の猛反発をくらい、内閣支持率も急落。同年6月に衆議院を解散(神の国解散)するが40議席近く減らすこととなり、自民党は単独過半数を割り込む形で惨敗した。
戦前回帰に歯止めをかけようとする「常識ある民意」が働いた結果だったと言えるが、戦後80年を迎えたこの国の参院選で、神の国発言をはるかに超える危険な主張で支持を広げる極右政党が台風の目となっている。
■戦前回帰の憲法構想案と「神社国有化」の公約
外国人や高齢者を優遇しているのはおかしいと主張する参政党が急速に支持を伸ばし、参院選で大幅に議席を増やす可能性が出てきた。掲げたスローガンは「日本人ファースト」。国家主権を謳い、軍隊や戦前の侵略政策を容認して自主独立をうながすなど、アメリカのトランプ大統領が唱えてきた「アメリカ・ファースト」以上に激しい内容だ。つまり極右。同党が公表している「新日本憲法 構想案」(以下「構想案」)をみて背筋が寒くなった。少し長くなるが、構想案の前文にはこうある。
日本は、稲穂が実る豊かな国土に、八百万の神と祖先を祀り、自然の摂理を尊重して命あるものの尊厳を認め、徳を積み、文武を養い、心を一つにして伝統文化を継承し、産業を発展させ、調和のとれた社会を築いてきた。
天皇は、いにしえより国をしらすこと悠久であり、国民を慈しみ、その安寧と幸せを祈り、国民もまた天皇を敬慕し、国全体が家族のように助け合って暮らす。公権力のあるべき道を示し、国民を本とする政治の姿を不文の憲法秩序とする。これが今も続く日本の國體(ママ)である。
国民の生活は、社会の公益が確保されることによって成り立つものであり、心身の教育、食糧の自給、国内産業の育成、国土と環境の保全など、本憲法によって権利の基盤としての公益を守り、強化する。
また我が国は、幾多の困難を乗り越え、世界に先駆けて人種の平等を訴えた国家として、先人の意思を受け継ぎ、本憲法によって綜合的な国のまもりに力を尽くし、国の自立につとめる。あわせて、各国の歴史や文化を尊重して共存共栄を実現し、恒久の平和に貢献する。
日本国民は、千代に八千代に繁栄を達成し、世界に真の調和をもたらすことを宣言し、この憲法を制定する。
神道の言葉である「八百万の神」、天皇による統治という意味を持つ「しらす」や「千代に八千代に」、わざわざ旧字を使った「國體」――まさに「神国日本」の宣言であり、大日本帝国憲法(「明治憲法」)以上に天皇への帰依が顕著となっている。神道を国の根本に据えようとしてのは明らかで、同党がホームページ上で公表している公約には『神社の国有化』が明記されている(*下の画像参照。青い囲みとアンダーラインはハンター編集部)。政教分離を放棄すると宣言したようなものだ。

前文は憲法全体の方向性を示すものであり、個々の条文はその趣旨に縛られる。つまり、参政党の憲法案は、天皇絶対の戦前・戦中を蘇らせようとするものなのだ。まともな政治勢力が作った憲法草案とは思えない。
■目指すは天皇の下での全体主義国家
第1条はさらに過激だ。
日本は、天皇のしらす君民一体の国家である。
2 天皇は、国の伝統の祭祀を主宰し、国民を統合する。
3 天皇は、国民の幸せを祈る神聖な存在として侵してはならない。
「しらす」(=治らす)は天皇による統治を意味する言葉。参政党の憲法草案は、明治憲法の条文「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と同じ内容だ。この国を戦争に導き、国民に塗炭の苦しみを与える原因となった「天皇絶対」の思想を、現代において提唱する政党が出てこようとは夢にも思わなかった。しかも、こうした危険思想を喧伝する政党に、一定の支持が集まっているというのだから驚くしかない。
最大の問題は、第4条の「国は、主権を有し、独立して自ら決定する権限を有する」という条文である。国民主権ではなく「国家主権」としたところに同党の全体主義的な本質が出ている。参政党にとって主権在民という考え方はうっとおしいだけなのだろう。当然、参政党の憲法草案には国民個々の“表現の自由”や“学問の自由”といった当然あるべき「権利」を保障する条文はない。全体主義と個の自由は相容れないからだ。
第7条では「婚姻は、男女の結合を基礎とし、夫婦の氏を同じくする」と規定。マイノリティや多様な家族観は認めないという考えを表明するだけでは足りず、憲法で同性婚と夫婦別姓を否定するという念の入れようだ。同党の差別主義は、ここにも現れている。
第9条では教育を受ける権利を認めつつも、「国語と古典素読、歴史と神話、修身、武道及び政治参加の教育は必修とする」、「教育勅語など歴代の詔勅、愛国心、食と健康、地域の祭祀や偉人、伝統行事は、教育において尊重しなければならない」と強要する始末。学問の自由まで奪おうという魂胆だ。
ここに出てくる「修身」とは、戦前の日本における道徳教育の教科。道徳とせず「修身」としたところにも戦前回帰の意図がみえる。
「教育勅語」が一躍注目を浴びることになったのは、不正な国有地払い下げ問題で知られる森友学園が、当時運営していた幼稚園で園児に勅語を暗唱させていたことが報じられてからだ。ネッ上に森友学園が運営する幼稚園の動画が流れるやいなや、安倍政権当時の閣僚や副大臣などが次々と教育勅語を擁護した。右派に媚びた安倍政権らしい対応だった。
ちなみに、「勅語」とは天皇が発した意思表示の言葉。天皇主権を規定した大日本帝国憲法下でのみ可能な、事実上の命令である。教育勅語は『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』と明記している。もし国家に危険が迫れば正義と勇気の心をもって公=国家のために働き、皇室を助けよ、という意味だ。つまり、教育勅語の目的は「滅私奉公」を奨励すること。主権在民や法の下の平等を規定した現行憲法とは真逆の考え方である。国家主権や天皇による統治を目指す参政党にとっては必要不可欠、自民党から距離を置き始めた極右勢力を引き寄せるためにも手放せないはずだ。

参政党代表の神谷宗幣氏をはじめとする極端に右に寄った政治家たちが、教育勅語を信奉するのは自由だ。しかし、それを憲法という国の最高法規をもって国民に押し付けることは許されない。昭和23年6月、衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」を、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議し、国として教育勅語と決別していることを忘れてはなるまい。下が衆、参での決議文だ。
【教育勅語等排除に関する決議】」(衆議院:昭和23年6月19日)
民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の改新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
「教育勅語等の失効確認に関する決議」(参議院:昭和23年6月19日)
われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。
衆議院決議では「排除」という強い表現で教育勅語を否定。《指導原理的性格を認めないことを宣言する》とした上で、《謄本を回収し、排除の措置を完了すべき》とまで言い切る。衆院の排除決議は、教育勅語が「神話的国体観」に基づいており、基本的人権を損なうという考え方に立脚しているからに他ならない。
一方、参議院決議では教育勅語の失効を確認。《わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭》するために、衆院同様《謄本をもれなく回収》と決議していた。回収するということは、教育勅語の写しを国内から消し去るという意味。これは教育の現場での教育勅語利用を禁じたと解すべきだろう。参政党は、衆・参での国会決議を知らないのかもしれない。知っていて憲法に「教育勅語の尊重」という条文を入れるというのなら、この政党は国民に犠牲を強いた戦前の軍部と同じだ。
極右であることを証明するかのように、以下の条文には「軍隊」「軍事裁判所」という言葉が並ぶ。とどめは第22条の「統治は、國體を尊重し、全国民のため、和の精神をもって行う」だ。これまで述べてきたように、参政党が多用する「國體」(国体)とは、天皇を頂点とする全体主義国家を指す。つまり、この党を支持するということは、日本が戦前と同じ状態になることを容認するということだ。参政党支持者は同党が公表している「新日本憲法 構想案」を熟読すべきだろう。
「神の国発言」から25年、根拠に乏しい言説や戦前回帰の極右的主張で支持を集める政党が出現したことに危機感を覚えているのは記者だけではあるまい。ネッ上のデマや雰囲気に流された人たちが、パワハラで辞任した知事の再選を認めた結果、兵庫県は今でも混乱が続いている。
(中願寺純則)















