21日、臨時国会の初日に首相指名選挙が行われ、自民党の高市早苗総裁が日本初の女性総理に就任した。少数与党の上、公明党が連立から離脱して苦境に立たされた自民党。高市氏は、日本維新の会などを取り込み新たな連立にこぎつけたが、船出の先には厳しい現実が待ち受けている。
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有権者は、昨年秋の衆議院選挙、今年夏の参議院選挙と2度続けて、自民党中心の政権にダメ出しした。それでも政権を担い続ける自民党。「玉木に助けられたよ」と話すのは、自民党の大臣経験者A氏だ。
公明党が連立から離脱した際、政権交代が現実味を帯びてきた。立憲民主党の安住淳幹事長は「まずは政権交代だ」と訴え、野田佳彦代表ではなく、「国民民主党の玉木雄一郎代表を首班指名で投票することある」と述べたことで、玉木氏が一気に総理候補に躍り出た。
10月11日、大阪の繁華街でマイクを握った玉木氏は「総理大臣になる覚悟はあります」と数百人の聴衆の前で喝采の拍手を浴びた。だが、ここがピークだった。玉木氏はメディアの前に姿を現すだびに「基本政策の一致が必要だ」とばかり繰り返し、安住氏の筋書き、立憲民主党、国民民主党、維新の野党連合に乗るか、自民党と組むか明言を避け続けた。
すっかり舞い上がっていた玉木氏だが、街頭演説直後にアップした「たまきチャンネル7周年記念動画」で榛葉賀津也幹事長と対談でやらかした。
「榛葉さんなんか民進党時代の代表選挙で蓮舫さんを応援していた。これちょっと黒歴史」と茶化すように述べたのだ。当然、その場には蓮舫氏はおらず何の反論もできないことあって、大炎上。10月14日の会見で動画について「たまきチャンネル7周年記念動画で蓮舫さんへの批判が…」と質問が出ると、「今日の会談の話をしてください」と榛葉氏はとりあわず逃げた。その間、自民党は維新を取り込む工作をかけ、野党分断に成功しているのだ。
立憲民主党の幹部は「基本政策は簡単で政治とカネですよ。自民党が衆議院選挙、参議院選挙で負けたのも政治とカネが最大の理由。すぐに玉木氏は基本政策などというより、政治とカネと物価高対策で野党同士やるといえば、一気に政権交代の世論になった。総理になれるなんて一生に1回あるかないかでしょう。なぜ、玉木氏はまず野党の枠組みでやると宣言しないのか。そうなれば国民的に政権交代の機運が盛り上がるのに」と歯ぎしりをしていた。
維新の幹部も「玉木氏が安住氏の訴えにすぐ呼応していれば、うちが自民党と組むことはなかった。政権交代への期待感が国民から沸き上がり、後戻りできなくなったと思います。事実、自民党の連立に入るよりも、野党連合の方が大臣ポストも多くとれ、政策実現しやすいからです」と本音を明かした。
流れに乗れるかどうか、政治には非常に重要なポイントだ。9月の自民党総裁選で「本命」だった、小泉進次郎農相。前半は流れに乗り、優勢だったが「安全運転」ですっかり改革のイメージがうすれてしまい、高市氏に逆転されて総裁の座を掴めなかった。
2020年の自民党総裁選では、安倍政権で長く官房長官として手腕を振るった、菅義偉氏が二階派などに根回しをして早々に出馬宣言。安倍晋三元首相の「後継」をイメージさせて、一気に流れをつくった。
大慌てしたのは、二階派などの後塵を拝した麻生太郎副総裁ら派閥の領袖。勝ち馬に乗ろうと、麻生氏は細田派(旧安倍派)や竹下派(旧茂木派)とともに「菅氏支援」で急きょ、合同で記者会見をせざるを得なくなった。
流れに乗れなかった玉木氏は、維新が自民党と連立の政策協議との報道に「維新と数時間前まで野党統一候補を議論していた。自民党と連立が決まっていたのかと、二枚舌のように思う」と恨み節を語った。
ある国民民主党の国会議員は、悔しそうに「玉木氏は躊躇したと思います。野党で政権交代をとるか自民党と一緒にやるかですね。それとあまりにマスコミが過熱して玉木氏が次期総理という感じで報じたので、舞い上がったところに動画で失敗した。野党でやろうと安住氏に乗っかれば、公明党までついてきた可能性があった。今ごろ、うちは与党だったのにな…」というが、まさに負け犬の遠吠え。
「玉木氏は動画で失敗して、直後の週刊誌でもまた、女性スキャンダルをにおわせる記事が出た。踏み切れない理由があったという情報も聞く。また、ギリギリまで値踏みをして高く売ろうとしたら、維新が間隙を突いて自民党についてくれたってことでしょう。玉木氏も素直にやっていれば、自民党は野党に転落、高市氏も総理になれなかった。高市氏は運があるね」(前出・X氏)
安住氏のおぜん立てに乗れなかった玉木氏。総理の器ではなかったということだ。















