つい先ごろまで民意を無視する政権のかじ取り役として「悪代官」のように扱われていたナンバー2の政治家が、あれよという間に最高権力者の座に登り詰めることが確実となった。
安倍晋三首相が突然辞任したことを受けて行われる自民党の総裁選で、圧倒的な勝利を収めるとみられている菅義偉官房長官。1か月まで、次の総理にしたい人物の調査では5番目か6番目だった同氏が、直近の数字で4割を超える支持を得ているというのだから、驚くしかない。
菅氏をヒーローに祭り上げたのは、紛れもなくこの国のマスコミである。
■菅氏を持ち上げるワイドショー
「一強」といわれる政治状況に胡坐をかき、平気でメディアにも圧力をかけてきた安倍政治を「継承する」と断言する菅氏を、マスコミ各社がこぞって持ち上げる様は滑稽だ。
特にテレビのワイドショーは、石破茂幹事長や岸田文雄政調会長の何倍もの時間をかけて菅氏の生い立ちや政治経歴を紹介している。(下は、西日本新聞9月7日朝刊の番組表より。赤い囲みはハンター編集部)
秋田から身一つで上京し、苦学の末に政治の世界でのし上がった叩き上げの政治家。安倍政権を支えて7年8か月、ついに総理・総裁に登り詰める――これが大方のテレビ番組が描く、菅氏のサクセスストーリーである。
元秘書をはじめ関係者が登場して菅氏の政治姿勢や逸話を語らせるのも、各局同様の手法となっている。ワイドショーを制作している連中は、「恥」という言葉を知らないのだろう。
菅氏は、権力維持のためには隠蔽やごまかしも辞さないという冷酷さを持つ政治家である。政権のスポークスマンとして会見に臨んできた同氏が、森友・加計や桜を見る会といった疑惑に対して、どのような態度をとってきたか振り返ってみれば分かることだ。
国家戦略特区を利用した加計学園の獣医学部新設問題では、文部科学省内部で共有されていたメールを「怪文書」と切って捨て、事案そのものをなかったことにしようとした。
森友学園への国有地払い下げ問題を巡っては、公文書の改ざんを強要され、良心の呵責に苛まれて自殺した財務省職員の手記も黙殺し、再調査を否定するという非人間的な態度に終始している。
なにより、特定秘密保護法や安保法制を制定し、集団的自衛権の行使容認という間違った方向に走ってきた安倍政権の、事実上の司令塔だったのは菅氏。官邸の主として、右寄り路線を引っ張ってきた張本人といっても過言ではあるまい。
その菅氏をもてはやす大手メディアを、信用できるはずがない。
■程度の低さにうんざり
春先まで、菅氏の足もとはで大きく揺らいでいた。首相と菅氏の関係悪化が原因だ。昨年11月、公設秘書が地元の有権者に香典を渡したとして、菅氏側近とされる菅原一秀衆院議員に公職選挙法違反(買収)の疑いが浮上。菅原氏は経済産業大臣を辞任した。
数日後、やはり菅氏の側近として知られる元法相・河井克之被告の妻・案里被告の参院選におけるウグイス嬢買収が発覚。克之被告が法相を辞めたものの事件は収束せず、巨額買収事件に発展した。
一連の事件は、菅氏の影響力低下を狙って首相周辺が仕掛けたのではないとの見方さえあったほどで、官房長官でありながら、コロナ対策の初期ははまったく蚊帳の外だった。そこからの逆転劇は、菅氏のしたたかさを物語る。
独裁的な政治手法で長期政権を実現させた安倍首相の女房役が菅氏。その菅氏の総裁就任が確実になったとたん、批判精神を忘れ過剰な忖度あるいはヨイショに走るマスコミと、美談仕立ての政治家物語に騙される有権者――。程度の低さにウンザリしているのは、記者だけではあるまい。
イギリスの著述家サミュエル・スマイルズは、その著書である『自助論』の中で「りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえない」と述べた。160年以上前に書かれた名著の中の一節だが、現在の日本に、これほど当てはまる指摘はあるまい。「この程度の国民に、この程度の政治」。付け加えるとするなら「この程度の国民に、この程度の政治とマスコミ」ということになる。
辞任表明前、安倍内閣の支持率は3割台前半まで下がっていた。不支持は5割を超えていたはずだ。菅氏自身の人気も、それほど高かったわけではない。しかし、テレビが菅氏を持ち上げ始めたとたん、マスコミも有権者も「菅総理万歳」。安倍政治が続いた理由が、今頃になって見えてきた。