眼球が…腸が…|鹿児島市立中・文化祭演劇台本「ペリリュ―」の異常性(下)

鹿児島市立伊敷中学校の文化祭で2年生が演じた総合劇「ペリリュ―」の台本は、太平洋戦争当時の日本軍を美化し、子供たちに間違った歴史観を植え付けかねない内容だった。

問題の台本が不適当だったことは、後半に出てくる残虐極まりない戦場描写によって明らかとなる。

■戦場描写の異常性

日本軍は、前方の珊瑚礁に二重三重に地雷を埋め込んでいた。

「さぁ来い!アメリカ軍」

地雷原が火を噴き、アメリカの船舶は横転。

アメリカ軍がやっとの思いで上陸し、歩みを進めると、どこからともなくとんでいく鉄砲の弾。

洞窟に身を隠していた日本軍がすかさず、一斉噴射。手榴弾を投下。耳をつんざく大轟音。

アメリカ軍は地獄の底に叩き込まれた

兵士は吹き込んで五体バラバラに周囲に散乱

死体の山、山、山・・・

青い海は、白い浜辺は、血でオレンジ色に変わった

「help me」「助けてくれ」

「衛生兵をよこせ!」

珊瑚礁ではアメリカ兵のほとんどが全滅した。

中川  外に出て攻撃を仕掛けると、戦車と航空機と艦砲射撃が待ち構えている。その手には乗らず、洞窟の中で待ち、敵が近づいてきたら狙撃せよ。容易く死なずに長く生きながらえて一人でも多くの敵を殺せ!

リアルな戦場描写に気持ちが悪くなったが、このあとのナレーション部分が示す残虐な光景の描き方には「異常性」さえ感じる。

アメリカ軍は戦車を先頭に攻めて来る。

射程距離150mという火炎放射器。アメリカ軍は洞窟という洞窟にガソリンを流し、火炎放射器で日本軍のいる洞窟を燃やした。

頭を半分そがれた者・・・

片腕を奪われた者・・・

腹をえぐられた者・・・

背中に穴があいた者・・・

つい先ほどまで話をしていた戦友が全身血まみれになり、転がっている。

「戦争さえなければ、殺しあう必要もないのに」

「戦争さえなければ、殺しあう必要もないのに」

「殺してくれ!殺してくれ!」

もう動くものは誰一人いなかった。

眼球が何個か転がっている

ちぎれた腕が切断部からまだ血を流しながら落ちている

大きく裂けた腹から青白く見える腸が渦巻くように流れ出している

見開かれたままの日本兵の黒い瞳。

見開かれたままのアメリカ兵の青い瞳。

血糊に染められた日本兵の黒い髪。

血糊に染められたアメリカ兵の金色の髪。

「おかあちゃん、おかあちゃん!」

「mom・・・mom・・・」

みんな同じ人間なのに・・・

みんな同じ人間なのに・・・

「頭を半分そがれた者」「片腕を奪われた者」「腹をえぐられた者」「背中に穴があいた者」――想像するだけで気落ちが悪くなるが、台本を書いた女性教師はまだ描き足りないと考えたのか、さらに酸鼻をきわめた戦場を様子を書き加える――眼球が何個か転がっている」「ちぎれた腕が切断部からまだ血を流しながら落ちている」「大きく裂けた腹から青白く見える腸が渦巻くように流れ出している」。

台本を書いた女性教師や、当時の学校幹部に聞いてみたい。なぜここまで、グロテスクな戦場の情景を文化祭で演じさせなければならないのか。戦争の悲惨さを訴えたいのなら、別の題材、別の方法があるはずだ。大人でも吐き気を催したくなる台本を、子供たちに押し付ける必要はなかろう。演じた子供たちからも「気持ち悪い」という声が上がっていたというが、台本の作者に異常性を感じるのは記者だけではあるまい。

終盤、「オレンジビーチ」の砂について祖父と孫が語り合う次の場面も、まずありえない設定だろう。

祖父  :「サクラ サクラ」という電文を最後にペリリュー島の戦いは終わった。日本軍、アメリカ軍のたくさんの命がなくなった。たくさんの血を流したそのビーチがオレンジビーチなんじゃよ。ほら、これはそのオレンジビーチの砂じゃ。

翠     私、オレンジビーチって聞いたとき、南の島の素敵な砂浜だと思った。そうじゃなかったんだ。おじいちゃんごめんなさい。

前述の通り、オレンジビーチは米軍が上陸にあたってブロック分けした海岸線のコードネーム。「西浜」あるいは陣地名の「クロマツ」と呼んでいた日本軍の元兵士が、戦後につけられた「オレンジビーチ」という名称を使うとは考えにくい。

また、血塗られた戦場の砂を、「ほら、これはそのオレンジビーチの砂じゃ」などと軽々しく孫娘に見せる元軍人がいるとも思えない。過酷な戦場を経験した人ほど、そこであったことを語らないものだ。

底の浅い知識で台本が書かれたせいで、ペリリュー島の戦いの実態は描かれていない。“「サクラ サクラ」という電文を最後にペリリュー島の戦いは終わった”とあるが、「サクラ サクラ サクラ」の玉砕を示す電文で終わったのは守備隊司令部の統率のもとに行われた『組織的戦闘』。島では生き残った将兵らが集団に分かれてゲリラ戦を継続し、終戦から2年近くたった頃にようやく34名もの日本兵が救出されることになる。

■教育関係者からも厳しい批判

ペリリュ―島守備隊が行った洞窟陣地に拠る持久戦は、その後に続いた硫黄島や沖縄の戦闘でも参考にされたという。いずれも「玉砕戦」であり、沖縄では県民の4人に1人が犠牲になった。それぞれの戦場には立派な指揮官もいたが、まっ先に逃げ出した将校がいたことも確かだ。沖縄では、ガマと呼ばれる洞窟から民間人を追い出した兵隊もいたし、集団自決用に手榴弾を渡したケースもあった。戦争の実相を見ずに一部を切り取って美談にすると、日本がやったこととを反省しない国民ばかりになってしまうだろう。そうした意味で、伊敷中の2年生が演じさせらた文化祭総合劇の台本は、極めて危険な内容だったと断ぜざるを得ない。

記者は、伊敷中で演じられた「ペリリュ―」の台本を極めて不適切と判断したが、教育関係者やジャーナリストからも、厳しい批判の声が上がっている。

【九州で演劇指導を行っている現役教師】――だいぶ書き手の意思が濃い作品だ。冒頭の祖父と孫の翠のやり取りに、まず違和感を覚える。「13歳」の孫に対して、「オレンジビーチの砂じゃよ」なんて話すおじいさんがいるとはと思えない。玉砕の島のことをそう簡単に口にするものなのか?

集団劇だが、登場人物のほとんどに名前もなく、個々の人間の描かれ方はあまりに雑。それぞれが血の通った人間とは思えないし、心に届かない。ナレーションも多く、全体に説明ばかりで、演技ではなく語りで話が進行されている。演劇というよりは、作者の弁論といった印象だ。

ペリリュー島の住民、日本軍――それらの集団の意思だけが描かれ、個人の葛藤、生の声は聞こえてこない。まるでプロパガンダ、子供を洗脳するための手段としての劇としか思えない。

戦争の悲惨さを伝えたいということだろうが、グロテスクな過激な表現の連続は、中学生の演じるものとしては不適当だろう。伊敷中は、よくこんな内容の演劇を上演させたものだ。ハッキリ言って、危険。

どうやら書き手が一番に伝えたかったのは、戦争の悲惨さではない。戦前の惨劇である玉砕を美化し、今日の日本人も国に何か危急の事態があれば、同様に自己犠牲の精神で、命を惜しまず行動すべし、というメッセージだけが伝わってくる。

一読して、不快感、嫌悪感だけが残った。私が親なら絶対に抗議していたし、自分が勤める学校でこんな劇が上演されると知ったら、職をかけて止めるだろう。

【ジャーナリスト・小笠原 淳さん】――驚きました。教員にも思想信条の自由はあると思いますが、これに影響される児童たちが将来どうなるのかちょっと心配です。

いちおう「平和」を尊重しているようで、なぜか戦争そのものの誤りは描かれていません。

ずいぶん日本軍を美化しているようですが、何かに感化されたのでしょうか。あと、後半の阿鼻叫喚の具体的な描写は悪趣味ですね。「オレンジ」に繋げるにしても、もっと違う描き方ができると思います。中盤で米軍を撃退して喜んでいるさまも、とても「平和」を希求しているとは思えません。私が保護者だったら、稽古に入る前に執筆者に事情を訊きに行くと思います。

【福岡市内の小学校教師】――福岡市の小中学校では、こんな危ない台本は認められませんね、絶対。教育委員会だって黙ってないですよ。軍隊を美化しているのは確かで、歴史の歪曲につながる危険な筋書きです。また、眼球が転がっているとか、腸が渦巻くように流れ出したとかいう描写には異常性さえ感じます。

教育の現場では、右や左に寄るのはご法度。いくら右寄り政権の時代とはいえ、これは認められませんよ。酷すぎる。鹿児島の中学校は、よくこんな異常な芝居をやらせましたね。信じられない。保護者から“おかしい”という声は上がらなかったのでしょうか?もしなんのクレームもなかったとしたら、それはそれで問題だと思いますが。

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