気象庁が首都圏に「大雪注意報」を出したのを受けて、10日昼のNHKのトップニュースは「東京23区など大雪のおそれ」だった。リポーターが東京都調布市の街頭に立って、みぞれがちらつく様子を伝え、雪への警戒を呼び掛けていた。
これだけではさすがにつらい、と報道する側も思ったのか。次の映像は、箱根の芦ノ湖畔の雪景色だった。記者が地面に手を差し込んで「こんなに積もっています」とのたもうた。確かに5センチほど積もっている。「すごい雪でしょ」と言いたげだった。
なんて報道だ、と思う。東京に数センチの雪が降り積もれば、かなり大変なことだとは分かる。が、それを気象庁が「大雪」と表現し、報道機関が「大雪」と報じるのは、日本語の使い方としておかしいのではないか。「積雪注意報」「東京で積雪」で十分ではないか。
雪国で暮らす人たちがこういう報道をどういう思いで見ているか、まるで考えていない。東京の報道機関が「東京ローカル」のニュースを、さも重大なニュースであるかのように報じるのに辟易(へきえき)しているのは、私だけだろうか。
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私が暮らす山形県で9日夜、屋根に降り積もった雪で家がつぶれ、1人暮らしの男性(64歳)が亡くなる事故があった。県内でも豪雪地帯として知られる新庄市の住宅街での出来事である。NHKはこれを「ローカルニュース」として報じた。
雪下ろし中に屋根から転落して死亡したり、除雪機に挟まれて亡くなったりする事故は、雪国ではしばしば起きる。従って、そうしたニュースを地方ニュースとして扱うのは分かる。だが、積雪で家が潰れ、それで住民が亡くなる事故など、雪国でも滅多にあるものではない。それを「ありふれたニュース」のように扱うのはおかしい。
映像を見ると、屋根に降り積もった雪は1.5メートルほどある。冬の初めに降った雪は圧縮され、一部は氷になっている。そこに次の雪が降り積もり、さらに新雪が加わる。屋根に加わる重量は相当なもので、古い住宅の場合には文字通り潰れてしまう。
倒壊を防ぐため、屋根の雪下ろしは欠かせない。私は山形と新潟の県境に近い村で暮らしている。積雪は今回の事故が起きた新庄市と同じくらいだ。ただ、山村なら空き地が十分にあるので気軽に屋根の雪下ろしができるが、市街地だとそれもままならない。屋根から下ろした雪の始末に困るからだ。
新庄市の住民に聞くと、雪下ろしの手間賃は1人当たり1日2万円前後(危険手当込み)。さらに、下ろした雪を運んだり、除雪したりする費用も必要なので、雪下ろしを数人に頼めば、1回で10万円は覚悟しなければならない。
それで雪下ろしをためらっているうちに、雪の重みで家が潰れてしまったようだ。痛ましい事故であり、雪国で暮らすことの切なさを象徴するような出来事だ。それをなぜ、全国的なニュースとして報じないのか。
調布の街頭に降るみぞれを伝える時間があるなら、せめて数秒でもいいから、1.5メートルの雪で潰れてしまった家の映像を伝えられなかったのか。「大雪」という日本語の使い方と併せて、何がニュースなのかについても、報道する人たちにはもっと神経をとがらせてほしい。
(長岡 昇: NPO「ブナの森」代表)
長岡 昇(ながおか のぼる)
山形県の地域おこしNPO「ブナの森」代表。市民オンブズマン山形県会議会員。朝日新聞記者として30年余り、主にアジアを取材した。論説委員を務めた後、2009年に早期退職して山形に帰郷、民間人校長として働く。2013年から3年間、山形大学プロジェクト教授。1953年生まれ、山形県朝日町在住。