ヤジ国賠、道警の方針を道が追認|控訴決裁、公安委へも「報告」のみ

首相演説ヤジ排除事件の国家賠償請求訴訟で、一審被告の北海道が控訴を決めるまでの経緯が公文書開示請求で一部あきらかになり、知事部局がほぼ即決で警察本部の控訴方針を追認していたことがわかった。また北海道警察は本部長の控訴決裁を公安委員会へ報告せずに知事部局へ送り、控訴申し立て後の定例会議で同委へ報告していた。

◇   ◇   ◇

筆者の公文書開示請求を受けた道警がヤジ排除国賠の控訴方針にかかわる『起案用紙』と『専決処分書』を一部開示したのは、7月27日午前。同日に交付された文書の写しによると、道警では国賠一審判決の3日後に本部監察官室が控訴を起案、さらに2日を経て扇澤昭宏本部長の決裁に到り、その翌日に知事部局へ起案用紙を回付していた。これを受けた知事部局は即日、知事決裁し、翌日付で札幌高等裁判所へ控訴を申し立てた。道公安委ではこの5日後に定例会議が設けられ、道警から同委へ控訴の事実が報告された。

以上の流れを時系列で整理すると、こうなる。

判決言い渡しから控訴起案までに3日の間が空いているのは、言い渡し日が週末だったため(上の日時に曜日を併記)。起案用紙は監察官室長や首席参事官、警務部長ら7人の回議(回覧)を経て、2日後に本部長決裁となった。

これが3月31日に知事部局へ送られたわけだが、そこから知事決裁まではあっという間だった。回付当日に次々と13人(事実上12人)が回議の確認印を捺し、知事の決裁印もその日のうちに捺印。警察が2日間かけて決裁した控訴案を、知事部局は何の疑問も示さずほぼ即決で追認したことになる。

同用紙を見ると、そこに残る「知事」の決裁印は現知事・鈴木直道氏のそれではなく、「浦本」名になっていることがわかる。これは副知事・浦本元人氏が捺印したものとみられる。つまり、道が被告となった裁判の控訴の起案に鈴木知事はまったく目を通さず、副知事に「代決」させる形で道警の方針を丸呑みしたわけだ。回付直後に即日決裁した経緯と併せ、知事部局はほとんど何の検討もせず道警の言いなりになっていたことがわかる。

実際に控訴が申し立てられたのは、知事決裁翌日の4月1日。道警を監督する筈の道公安委員会がこれの報告を受けたのは、実に5日を経た同6日のことだった。公安委の公式サイトで公開されている同日付定例会議の概要では、その経緯がごく短い一文で記録されている。

国家賠償請求訴訟の対応方針について報告を受けた

会議録には「対応方針」とあるが、事実としては「控訴した」との結果報告。一審判決後、公安委は控訴方針について道警からなんら報告を受けず、無論のこと何の意見も伝えることができないまま、結果だけを知らされたことになる。繰り返すが、控訴が申し立てられたのはこの会議の5日前。遅くとも控訴の翌日には地元報道がその事実を報じており、会議が招集されるころには周知の事実となっていた筈だ。

警察の違法行為が指摘された裁判の控訴の判断について、公安委員会は監督機関としての役割をおよそ果たすことができず、裁判の当事者である筈の道知事も起案すら確認せず決裁を「代決」させてしまう――。北海道には、警察を適切に監督・指導する公的機関が事実上存在しないと言ってよい。

(小笠原淳)

【小笠原 淳 (おがさわら・じゅん)】
ライター。1968年11月生まれ。99年「札幌タイムス」記者。2005年から月刊誌「北方ジャーナル」を中心に執筆。著書に、地元・北海道警察の未発表不祥事を掘り起こした『見えない不祥事――北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない』(リーダーズノート出版)がある。札幌市在住。

 

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