大任町議長銃撃事件の真相(上)|指示した組長が漏らした「永原譲二」「1000万円」

 2002年(平成14年)7月2日、当時福岡県大任町議会の議長を務めていた楠木重明氏(故人)が、飯塚オートレース場そばの路上で銃撃されるという事件が起きた。議長は右腕を撃たれてけがを負ったが命に別状はなく、銃撃の実行犯は翌年3月に逮捕される。

 実行犯と議長にこれといったつながりがなかったため「動機」についてさまざまな憶測が流れたが、町内でまことしやかに語られていたのは、陰で糸を引いたとされる『黒幕』の存在だった。

 こうしたケースで疑ってみるべきなのは、いちばん得をする人間だ。ハンターの記者が改めて事件を調べ直す中、12年以上の刑期をつとめて5年前に出所した男性(本稿では「A氏」)が、取材に応えて事件の真相を明かした。

 捜査当局も知らない拳銃の隠し場所、犯行を指示した元暴力団組長、銃撃の瞬間、そして本当の『黒幕』――。衝撃の告白を、足し引きなしで2回に分けて報じる。

■銃撃の直接指示は暴力団組長 ー 匂わせた黒幕の名

――今日は、取材に応じていただき、ありがとうございます。まず、銃撃事件に至る経緯から聞かせて下さい。
A氏:はい。自分はその頃は、鉄筋の仕事しとったんですよ、大分で。ずっと高速道路しよってですね。ほんで、大分の高速道路が終わったものですから、(大任町に)帰ってきたわけです。そして、ブラブラしよったんですが、そしたら政時組のO(*アルファベットの「O」。以下同じ)から話があると・・・、ね。ちょっと話があるんやけど、と。

――Oというのは、解散した「政時組」(太州会の二次団体)の当時の組長で、その後、破門になっている人ですね。
A氏:そうです。ほんで、話があるって。

――それは、いつ頃のことですか?
A氏:ええっと、事件起こしたんが・・・。

――当時の新聞記事によると、2002年、平成14年7月2日に事件が起きています。
A氏:ああ、 7月2日に事件。その3か月以上前ですよ。Oから話があったのは。

――それで?
A氏:そして、Oと会って、何の話かと思ったら、『楠木をなんとかしたい』と。どういうことやと言ったら、『楠木は大任町のためにならん』と。『大任町のためにならんから、あれはどうにかせないかん』と。だから、自分にね、あの、『行ってくれんか』という話だったわけですよ。

――行ってくれんかというのは、要するに、襲撃してくれということ?
A氏:そういうことです。ほんで、その行ってくれんかっていうから、『俺がなんで行かないかんのか』と。『大任町のためにならんとかなんとか、俺は関係ないやないか』って、最初断わっちょったんですわ、うん。そしたら、そういうやり取りしよるうちにね、永原譲二っちゅう名前を出したわけですわ、Oが。

――Oさんが?
A氏:うん。

――永原譲二とフルネームを?
A氏:うん。名前を出してですね。で、『1,000万用意しとる』と。ほんで、なんとかね、あれしてくれんかということで。

――Oさんは、永原町長が1,000万用意してると言ったんですか?
A氏:ただ1,000万出とるという話やった。

――匂わしたわけですね。依頼者を。
A氏:そういうこと。

――ただ名前が出たのは、はっきり覚えている?
A氏:それはもうはっきり『永原譲二』と。ほんで、永原譲二の仕事かって俺聞いたんですよ。そしたら、譲二は関係ないっち。こう言ったけどね。そいけど、もう自分にしたら、これは永原譲二から頼まれたことやなと思ったんですよ。

――Oさんの態度見て?
A氏:うん。もう1,000万出とるとかね。だいたい、Oが1,000万とかいうカネ、出せるわけやないから。あと、その頃(Oは)、永原譲二から車を買ってもらったり。『キャデラックを買うてもろた』とか、言ってましたからね。

――キャデラックを買ってもらったりするような関係だったから、永原から頼まれたら断れないだろうと容易に想像がついたと?
A氏:そうそう。そいで、自分はOに、その頃少し世話になっちょったからですね。

――いわゆる企業舎弟みたいな感じですね?
A氏:そうです。そやから、最後は『よし、分かった』って。ただね、その前にね、『あんたんとこ若い衆おるやないか』ってね、言ったんですよ。そしたら、(Oが)『いやーうちの若い衆で行けるもんはおらん』と。で、『なんとかあんた行ってくれんな』と言われたわけですよ。

――なるほど。
A氏:ほんで、永原譲二の名前も出たし、もうカネも1,000万出とるというし。これは永原譲二の仕事やなと思って引き受けたんですよ。そいでも、やっぱり人一人殺すっていったら、そう簡単にいくもんやないからですね。

■殺しの依頼 ー コインロッカーに拳銃と銃弾

――要するに、殺しの依頼だとその段階でわかっていたんですね?
A氏:うん。

――その時、Aさんはおいくつですかね?
A氏:55か6かね。

――それから?
A氏: で、引き受けたところで、『(Oが)チャカは、伊田の駅前のコインロッカーに入れておく』と。チャカて、拳銃のことですよ。

――どこの駅ですか?
A氏:伊田駅。

――JRの田川伊田駅ですね。
A氏:うん。『(Oが)伊田のコインロッカーに入れとく』言うで、自分が取りに行ったら、(拳銃が)あったわけですよ。

――鍵をOさんから受け取って、伊田駅に行ったわけですね?
A氏:そうです。

――確認ですが、Oさんから『チャカは伊田駅のコインロッカーに入れておく』と言われて、取りに行ったわけですね?
A氏:そうです。

――その時は、現金も?
A氏:いや、現金というのは、一括で貰ったわけやないですよ。動く度にね、ちょこちょこと。100万とか、200万とかね。

――現金受け取りの1回目はいつ頃でしたか?拳銃を受け取る前ですよね?
A氏:うーーん・・・。なんせですね、実際に事件を起こすまでに3、4か月以上かかったんですよ。

――すぐじゃなかったんですね。
A氏:すぐやないです。やっぱ、自分もいろいろ考えてね。“これで殺したら・・・”とかね。

――(刑務所から)出て来れないかもしれないとか?
A氏:うん。いろいろ考えてね。日にちかかってね。そしたら途中でね、Oが『もうお前行ききらんやったら、やめれ』って、Oが言ったことがあったね。

――最初に話があって、7月2日までの3か月くらいの間に、いろいろやり取りがあったと?
A氏:その間に、北海道行ったりね。Oが『楠木が北海道にスキーに行っとる』と。『そこで狙え』と。ほんで、そのスキー場が小樽やったんですよ。

――北海道まで行ったんですか?
A氏:行ったです。北海道までね。

――春先ですか?そうすると。
A氏:えーっと、そうですね。2月か3月頃かね、ほんだら。北海道に行ったとき、雪があったですもんね。

――なるほど。
A氏:北海道まで行ったのは覚えとう。ほんで小樽のスキー場がずーっと山の奥だったんですよ。ほんで、スキー場に着いて、人がもう山ほどおってね。狙いどころやなかったですわ。そやから、帰って来たんですわ。『これは無理や』と思ってね。ああ、そん時に、費用は100万とか、そん時に出してくれたね。ただ、1,000万やらいう額は貰ってないですよ。

――要するに、経費は出してもらったが、Aさんの懐が温かくなるほど貰ってないってことですね。
A氏:貰ってないですよ。一気にポンって1,000万くれたんやなくて、動くたび。全部あわせても1,000万やら貰ってない。

――ところで、捕まったら刑務所行きってのは分かっているわけですが、襲撃した後は、どうするこうするっていう約束はなかったんですか?
A氏:『 帰ってきたら、俺が面倒をちゃんとみる』という話はしたですよ、Oが。

――そうしないと、やれませんよね。
A氏:ええ。

――そして、2002年、平成14年7月2日に事件ですね。もう次の日には、県警が似顔絵まで公開していたんですよ。3日の新聞に出ていました。警察は、もう誰が犯人かわかっていたはずですよね。
A氏:はいはい。

――当時の新聞記事で、気になっているところがあります。《楠木議長宅では昨年11月8日未明に自宅外壁4か所に銃弾が撃ち込まれる事件が起きており》とあるんですが、心当たりないですか?
A氏:いや、ない。

――関わっていらっしゃらない?
A氏:うん。自分は楠木のことは全然知らんかったし、そもそもが、Oから話される前は、大分の高速道路の工事に行っとるわけですから知らんし、関係ないです。

――話が戻りますが、北海道に行った時、拳銃持って行かれたんですよね?
A氏:持って行った。寝るときもずっと持っとったし、普段は車に積んでたから。ほんで、マメが、弾のことですが、16発あったんですよ。トカレフですね、拳銃は。32口径のトカレフ。豆(銃弾)が16発。

――伊田駅のコインロッカーに、弾も一緒に?
A氏:そうです。

――拳銃は、早いうちに手にはされてたんですか?
A氏:そうです。話が決まってすぐに。

――すぐに?
A氏:すぐです。話が決まったあくる日くらいにもう用意しちょった。

■「銃撃4発」その瞬間

――で、何か月もかけて、実際の銃撃になる。飯塚のオートレース場で。
A氏:はい。銃撃した飯塚のオートレース場はですね、車が、いったんは必ず止まらないかんとですよ。そこで待ち伏せしちょった。楠木の車が止まったから、自分はさっと(車の)前に行って、前から撃ったんですよ、最初の1発は。

―― ・・・。
A氏:で、正面から撃ったときに、本人がポトっと倒れたんですよ。

―― ・・・。
A氏:そやから、そのまま横のドアの方に行ったら、楠木がぱっと起きて、ビューっと(車が)出ていこうとしたから、あわててもう一度撃ったわけですよ。そこで2発撃ったわけです。

――横といいますと、運転席側?
A氏:運転席側の方からね、2発撃ったんですよ。ほんで1発目は頭の後ろの枕カバーがあるやないですか。

――ヘッドレストですね。
A氏:そうそう。あれに当たっとったと。ほんでもう1発は、肘に当たっとるわけですよ。

――1発目の正面からのは当たってないわけですね?
A氏:うん、いや、それがハンドルに当たったって話を聞いたんですよ。後から。ボンネットから運転席までが2mくらいしか離れてなかったけどですね。正面からね。

――車は何だったか覚えてらっしゃいますか?
A氏:クラウンやったかね。

――本人が動いたんで、パタッと倒れた感じだったということで運転席側にまわって、そして?
A氏:ポッと起きたから、あわてて2発撃ったんですわ。

――それがヘッドレスト。
A氏:そうそう。それに当たって。ほんで1発が肘で、(腕で顔を庇う仕草をしながら)こうしとったからですね、肘に当たっとんですわ。で、4発目は、車がもう走った後、後ろからおまけのつもりで撃ったわけですよ。4発撃った。

――全部で4発ですね。
A氏:そうです。

――その前に射撃の訓練はされたんですか?
A氏:したです。

――どこで?
A氏:あっちこっちで。

――あっちこっち。要するに山の中とか。
A氏:そうです。弾倉に弾が8発入るんですわ。

――はい?
A氏:8発いっぱい詰めちょったら、弾が噛むかわからんけん、7発にしたんですわ。最後はね。7発残しとったんですわ。ちゅーことは、9発。16発あったから。

――8発入るけど、弾が噛む?
A氏:いっぱい入れちょったら、ガチャってしたときに、弾倉に送るときにね、弾が噛む場合があるって聞いとったから。そやから、7発残して、ほんで、残りの9発は練習で撃ったんです。

――9発練習。すると、全部で13発撃ったんですかね?弾は16発あって、何発か残った。
A氏:3発残ったんですよ。

――拳銃はその直後に、どこかに捨てられたんですか?
A氏:いや、それはもう、ある人間がね、処分した。

――逮捕はいつ頃でしたか?
A氏:逮捕は10か月後くらいでしたかね。私の誕生日2月17日なんですわ。その時免許の切り替えやったんですよ。で、免許の切り替え行ったら捕まると思って、1か月くらい猶予があるじゃないですか、免許証が切れて。ほんで、1か月間猶予があるけれど、切り替えに行かんで、3月の18日に捕まったんです。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 解散した政時組の元組長(破門)が、A氏に議長銃撃を指示する段階で匂わせた「永原譲二」「1,000万円」。この言葉があったからこそ、A氏は議長襲撃を引き受けたと断言する。覚悟を決めた後は、拳銃の試射を行い、襲撃の機会を狙って議長を北海道まで追いかけていた。

 「チャカは、伊田の駅前のコインロッカー」、「32口径のトカレフ。豆(銃弾)が16発」、「弾が噛むかわからんけん、7発」。捜査当局にも明かさなかったという事件に関するの細かな事実を、A氏は淡々と話し続けた。この後に語られた、出所後の『黒幕』とのやり取りは、さらに衝撃的な内容だった。

(つづく)

*本稿に関し、ニュースソースを明示しない勝手な後追い報道や、記事の転用を禁じます)

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