衝撃インタビュー|懐刀が語る三反園鹿児島県知事の実相(1)

新型コロナウイルスに怯える日々が続いていた先月、ハンターの記者は、鹿児島市内のある場所で一人の男性と向かい合っていた。

男性は、三反園訓鹿児島県知事の懐刀とも金庫番とも称されてきた人物で、現在も三反園氏の政治団体「みたぞのさとし後援会」の会計責任者を務めている。本稿ではX氏と呼ぶが、静かな語り口が印象的な紳士だ。

元参議院議員秘書のX氏は、若い頃から永田町や地元鹿児島で、数々の政治的な修羅場をくぐり抜けてきた影の実力者。時に記者を見つめる目に、凄みが宿る。

この日から、東京と鹿児島で断続的に計3度、X氏がハンターの長時間インタビューに応じ知事の素顔や県政の実態について語り尽くした。

■出会い

そもそも、三反園知事と出会ったのはいつ頃なのか――。インタビューは、記者のこの問いに、X氏が当時を振り返るところから始まった。

「前回の知事選が2016年。その前の年の10月か11月に、東京で出会ったのが付き合いの始まりです。東京で、鹿児島県の霧島出身者が集まる“霧島ふるさと会”というのがあって、その中の “牧園会”に三反園が来ており、そこでの出会いがスタートです」(X氏)

――三反園氏の知事選を手掛けることになったきっかけは?
「牧園会の参加者が、知事選に出るという三反園さんを、なんとか助けてやってくれと言い出したのがきっかけでしょうか。それから、三反園が都内の私の事務所に来るようになったんです」

――頻繁に?
「まあ、よく来てましたね」

――その年の12月に三反園さんが立候補表明しましたが、その頃はもうどっぷり、ということですね?
「三反園さんを応援しようという人たちが、東京で政治団体を設立していましたが、私が名称を『三訓会』に変えました。それから、東京で、鹿児島で、様々な仕掛けをしていきました。もちろん、全部は話せませんが」

――三訓会という名称には,特別な意味があるのですか?
「いや、三反園の三と名前の訓をくっつけただけ(笑)。特別な意味はありません。単純、単純(笑)」

――2016年は現職相手の選挙でした。しかも当時の伊藤祐一郎知事は自民党推薦。勝てると思っていましたか?
「結果論を言っても、どうかとは思います。ただ、伊藤さんは当時、あまり評判が良くなかったですよね。だから、東京や鹿児島でいろんな仕掛けをした。それは大変でしたよ」

――仕掛けというと?
「いろいろと。まあ、そのあたりは相手もいることだから」

――勝負の分かれ目は、何と言っても反現職陣営による候補者一本化だったと思いますが?
「それは間違いない。政策合意がなければ、三反園県政はできていない」

■政策合意

――その政策合意の経緯についてお尋ねしますが……。
「政策合意にことを語るにあたっては、私はまず、反原発派の方々に、心からおわびを申し上げたい。ずっと、そう思ってきました」

――ずっというのは、いつからのことですか?
「知事選が終わって、三反園が正式に知事に就任してからです。もっと分かり易く言えば、三反園が反原発派の方々を遠ざけるようになってから、ということです」

――お詫びするという話は、もう少し後にしていただいて、少し話を戻させて下さい。まずは政策合意を結ぶに至った経緯から、お願いします。
「ご承知の通り、当時、候補者一本化の話は一度白紙に戻ったんです。そこから、私と向原祥隆さん(反原発・かごしまネット事務局長)、現在は県議会議員になられた平良行雄さんの3人で、政策合意の内容を詰めました。それからのことは、ご案内の通りです。私も三反園も、一本化しなければ勝てないと分かっていましたから。必死でしたよ」

一本化交渉が『一度白紙に戻った』というX氏の記憶は正確なものだ。昨年12月、政策合意の当事者である平良行雄県会議員は、ハンターのインタビューに答えて、こう話していた。
「私が正式に立候補表明の記者会見をしたのは、2016年5月19日です。会見前から候補者一本化を求める声が寄せられていたのですが、正式表明後はその声がさらに大きくなっていきました。三反園氏と私に票が割れれば、伊藤(祐一郎)前知事の4選を阻むことができなくなるからです。そこで、5月末を期限に一本化協議を行うよう三反園氏側に申し入れを行ったのですが、期限までに回答がなく、いったんは物別れに終わりました」(平良氏)

今回、改めて複数の関係者に確認したところ、全員がX氏の証言に間違いはないと認めている。政策合意に関する、X氏と記者のやり取りがさらに続く。

――平良さんは、6月になって、2012年の知事選で20万票を集めていた向原祥隆さんのもとに、三反園氏の代理人だというある国会関係者から「一本化協議を行いたい」と連絡があったと振り返っていますが?
「そうだったでしょう。ですが、その国会議員はメッセンジャー的な存在ですよ。きっかけを作った程度。政策合意の文案をまとめていったのは向原さんと平良さん、そして私。パソコンで文書を打ち出したのも私ですから」

――話し合いは何回?
「鹿児島市内のビルの一室などで何回かやりましたね」

――廃炉を前提に、原発の検証組織を立ち上げ、そこに反原発派のメンバーを入れるというのは、本当に約束があったんですね?}
「ありましたね。内容については、合意文書の通りですが、反原発派のメンバーを(原発の検証組織に)入れるという話は、たしかにありました」

――ホテルでの協議の場で、三反園さんは何度も「私を信じて下さい」と言ったそうです。本当ですか?
「申しわけないですが、その時だけは立ち会っていないんです。関係者に聞いていただければ分かります。その時は、向原さん、平良さん、三反園、そして問題の国会関係者の4人だったはずです」

この話も、平良氏の証言と符合する。「協議を行ったのは市内のホテルでした。かなり遅い時間までやったと記憶しています。参加者は4人。当方は向原さんと私。先方は三反園氏と仲介役の国会関係者の2名でした」(平良氏)。X氏の記憶は、細部まで正確だと感じた。

――でも、結局原発の検証組織は形骸化、反原発派のメンバーは入っていません。
「そういうことです」

反原発派の話になる度、X氏は苦しそうな表情を見せた。「(反原発派の人たちのことが)ずっと気になっていた」「申しわけない」「お詫びしたかった」「責任がある」――。インタビューの前半、X氏が何度も口にした言葉だ。

このあと、三反園氏が反原発派や県民を欺むいたことで引きずることになったX氏の心の痛みが、実はハンターのインタビューに答えようと彼が決意した、一番の理由だったことが分かる。

■背信

――三反園さんは平気で嘘をつく人だと思いますが、反原発派は政策合意を受けての選挙協力を懸命にやっていました。そのおかげで三反園さんは当選した。きちんとした社会人なら、約束は守るものです。ところが三反園さんは……。
「だから、私は何度も反原発派の人たちに会ってきちんと話をしなさいと主張したんです。でも、(三反園氏は)やらない。まったく言うことを聞いてくれなかった。県議選に当選した平良さんに、お祝いの言葉さえかけていない。これは、人として筋が通らない。政策合意は何だったのか!票欲しさか!政策合意に携わった人間として、反原発派の方々や県民の皆様に、本当に申し訳なかった」

――平良さんや向原さんは、三反園さんにとっては恩人ということですよね。
「そりゃ、そうでしょう。あの方々には、足を向けては寝られないはずです」

――その平良さんや向原さんに対し、三反園さんは知事就任後、電話はおろかメールにも反応しなくなります。面会要請にも、一度も応じていません。なぜですか?
「じつは、私も何度となく彼に聞きました。なぜきちんと向き合わないのか、と。すると、三反園は『自民党のことがあるので』と言うんです。信じられなかった。自民党は選挙で敵だった。何もしてもらっていない。なぜ自民党?そうなるでしょ、普通。つまり三反園は、次の選挙に向けて、自民党にすり寄ったんです」

――三反園さんが態度を豹変させたのは、知事選が終わってすぐでしたか?
「じつは、選挙が終わってすぐに、平良さんと向原さん、そして私と三反園とで会食したんです。選挙の2日後。しかし、彼はそそくさと帰っていきました。なんでだと聞くと、その時にはもう『自民党のことがあるので』でしたね。呆れました」

この会食のことについては平良氏も記憶しており、ハンターにはこう話していた。
「(三反園氏は)最初はご機嫌だったのですが、初登庁の話になってから不機嫌になり、『来ないでくれ』と言い出したんです。初登庁ですから“県庁前で激励しますよ”と言ったんですが、“来るな”と言うんです。理由を尋ねると『私のイベントだから』。ああ、この人は約束を守るつもりはないな、と思いました。それでも県庁前に行きましたけどね」

――その会食が反原発派との最後の接触だったということですが、それからも知事に意見はされたんですか?
「何度も何度も、強く意見しました。反原発派の人たちときちんと向き合え、人として、それは当然だろうと。でも、その度に(三反園氏が)口にするのは『自民党のことがあるので』でした」

――どう思われました?
「どうもこうもない。反原発派に対する手の平返しは、県民への背信行為でもあります。自民党がどうのという以前の問題ですよ。“これこれ、こういう政策合意を結んでおります。自民党の皆さんも、そこのところはご理解下さい”と、堂々と、毅然としていればよかった。自民党だって、筋を通せばムチャクチャはしない。それを、姑息な態度で、平気で人を裏切った。誰だって怒りますよ」

政策合意文書の日付は2016年6月17日。この日、平良氏と三反園知事は県庁で記者会見に臨み、候補者一本化を表明する。三反園氏は会見の席上、原発検討組織について次のように話していた。
「あの合意文書見ていただければ分かるんで、まず合意文書見ていただかないとですね。つまり、原子力の検討委員会ってのを設けるんですよね。これはその幅広く有識者に入ってもらいますから、いわゆる反原発の方々そしてまぁ幅広いいろんな方に入っていただいて、公平公正中立な形の中でですね、県民は何を思っているんか、避難道路も含めてですね、いろんな面について、そこで検討していただく」

ところが知事就任後、三反園氏は「原発の検討委員会に反原発派を入れると言った記憶はない」と政策合意の前提を覆し、県議会や記者会見で反原発派との関係を追及されると、「政策合意は守った」と強弁するようになる。その点をX氏にぶつけた。

――政策合意について、最後の質問です。三反園さんと平良さんとの間で結んだ政策合意は、履行されましたか?
彼の尺度と、私の尺度が違うということになるのでしょうが、(政策合意を)守ったとは決してならない

現職知事の主張が、音を立てて崩れた瞬間だった。

(つづく)

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