7月上旬の遺体発見以来、折に触れて報道各社が報じ続けている札幌・ススキノの殺人事件。同下旬には札幌市内に住む女性(29)とその両親が死体遺棄などの疑いで逮捕され、親子が共謀して女性の知人男性(62)を殺害、遺体の一部を自宅に隠し持っていたとの“事実”が発信されることとなった。
事件は地元報道のみならずワイドショーや週刊誌なども採り上げ、過熱する報道を通じて容疑者3人の共謀はほぼ既成事実となる。実行犯とされる女性と被害男性との間に何らかのトラブルが起き、それを知る両親が計画段階から娘の犯行に荷担した、というストーリー。事件の前後に容疑者女性の父親(59)が車で娘を送迎した事実や、その2人が事件前に凶器となり得る刃物を買い集めていたという逸話、また母親(60)が取り調べで「娘を止められなかった」などと供述したという情報などが、この共謀説を補強した。
このストーリーを否定し、捜査機関の情報操作を批判する声が上がったのは、親子の逮捕から3週間ほどが過ぎた8月18日。両親の弁護人を務める弁護士らが地元司法記者クラブに初めてコメントを寄せたのだ。多くの報道機関が抜粋のみを伝えたそのコメントの全文を、下に引用する(※ 原文では容疑者3人とも実名、以下同)。
《母親が「娘の犯行を止めたかったが、止められなかった」と警察に話したかのような報道がありましたが、そのような事実は一切なく、報道は誤っています。買物や送迎など、事実の存在自体は間違いないものの、各行為の目的や前提について、誤った推測がなされていることが多々あります。また、特に新聞メディア以外の報道に見られますが、事実そのものが誤っているものも少なからず存在します。
父親及び母親は、娘が事件を起こすなどとは全く想像しておらず、両名とも、被疑事実とされる殺人、死体遺棄のいずれについても一切共謀しておりません。
報道機関におかれましては、捜査の進展を見守り、冷静な報道をして頂きたくお願い申し上げる次第です。》
報道では、両親が警察の調べに対して黙秘を続けているとも伝えられていた。両親の弁護人らは8月24日に新たなコメントを出し、黙秘方針が弁護人の指示によるものだったと明かすことになる。以下に全文を引く。
《被疑者両名は、弁護人との初回接見の時に、完全黙秘の指示を受け、捜査機関に対して黙秘を続けてきました。当職らは、両名と接見を重ね、本件事件について概ね正確な事実関係を把握することができたとの判断に至ったため、検察官との関係で黙秘権行使を解除しました。両名は、今月21日月曜日の取調べ時から、検察に対してのみ全ての事実関係を供述しています。なお、警察との関係では、当職らが選任される前の母親の供述に関して誤った報道がされるなどの重大な問題があり、誤った情報がメディアを通じて広がる懸念が払しょくできないことなどの理由から、今後も黙秘権行使を解除する予定はありません。
刑事弁護の世界においては、被疑者の権利を守るため、真実を守るため、捜査機関に対しては黙秘権を行使することが原則と理解されています。何かやましいことがあるから両名が黙秘しているのではないかなどという誤った推測もなされておりますが、そもそも黙秘権行使は当職らの弁護方針に基づくものであり、両名が自発的に黙秘を始めたわけではありません。
弁護人としては、捜査の推移を冷静に見守っていただきたく、お願い申し上げる次第です。》
捜査にあたっていた札幌地方検察庁が親子3人の鑑定留置を裁判所に求めたのは、この弁護人コメントが出た当日のことだ。札幌簡易裁判所は6カ月間という異例の長さの留置を認め、翌25日に両親の弁護人が申し立てた準抗告は即日棄却。週が明けて8月28日から札幌市内の刑事施設で鑑定留置が始まった。
殺人などの実行犯とされる娘の認否については、現時点で定かでない。だが共犯とされる両親はこれまで述べてきた通り犯行への関与を一貫して否定しており、弁護側が彼らの精神鑑定を求めていないことから、責任能力を争う考えがないことはあきらかだ。検察側の請求がなければ、娘はともかく両親は9月上旬にも起訴の有無が決まっているはずだった。今回の鑑定留置開始により、2人の身柄拘束期間が一気に半年間延長されることになったわけだ。
検察は、なぜ両親の鑑定留置を求めたのか。留置開始の8月28日夕、札幌地方検察庁でオープン会見(記者クラブ非加盟者も参加可の会見)があり、質疑応答の時間がもっぱらこの件での問答に費やされた。筆者が「弁護人によれば両親とも否認している、なぜ鑑定が必要か」と尋ねると、地検の石井壯治次席検事は「弁護人が言う内容の当否についてはコメントできない」とした上で「責任能力について判断するために鑑定留置を請求し、裁判所もそれを認めた」とのみ回答、「なぜ半年間も必要か」の問いに対しても「それだけの長さが必要と判断し、裁判所も認めた」と言うに留めた。「判断」に到る経緯や根拠などは説明されず、記者クラブ加盟各社の同様の質問に対しても「それだけ必要と判断した」との回答が繰り返された。
一方、検察の請求を受けて長期の鑑定留置を認めた裁判所は、なぜそれが必要という判断に到ったのか。これが質される機会が、つい最近あった。9月1日午前に札幌簡裁(鈴木浩二裁判官)が設けた「鑑定留置理由開示法廷」。両親の弁護人らは裁判所への抗告に臨みつつ、留置理由の開示を求める手続きも行なっていたのだ。これにより、裁判所は容疑者である両親に直接、公開の法廷で鑑定留置の理由を説明しなくてはならなくなった。
理由開示の場に立ち会った地元報道関係者らは翌日までにその模様を報じ、改めて娘との共謀を否定する両親の証言などを発信することとなったが、肝心の留置理由の説明についてはさほど詳しく伝えられていない。またそもそも公開法廷の期日を把握できず傍聴取材が叶わなかった報道機関も複数あった。そこで本稿ではおもに、簡裁・鈴木裁判官の理由説明や弁護人らとの問答などを採録し、事件についてこれまでとは異なる視点を提供したい。週末の午前、全国的に耳目を集める話題にもかかわらず傍聴席に空席の目立つ法廷で、裁判官はまず父親に留置理由を説明した。筆者が聴き取った限りでは、おおむね次のような内容だ。
・被疑事実・・・『娘・妻と共謀し、被害男性を殺害しようと考えた。7月1日午後10時43分ごろから2日午前2時ごろまでに、札幌市中央区のホテルで、娘が刃物で男性の頸部右下方付近を複数回突き刺し、出血性ショックにより死亡させた。娘は男性の頸部を切断し、キャリーケースなどに収納、被疑者がそれを札幌市内の自宅まで運搬した(殺人、死体損壊、死体領得、死体遺棄)』
・嫌疑性・・・『検察官提出の一件記録中の捜査報告書などの証拠により、各被疑事実と被疑者との結びつきを疑うに足る相当な理由がある』
・鑑定留置の必要性・・・『本件は被疑者が家族と共謀して行なった重大な事案で、犯行の動機や態様、犯行前後の被疑者の行動などに常軌を逸した面が少なからずみられる。実行犯である娘に窺われる精神障碍の内容や鑑定する医師の意見などに照らし、犯行当時の精神状態について充分な捜査を尽くす必要があり、鑑定留置の必要性があると判断した。娘の障碍の内容や、共犯者である妻への精神鑑定と並行して被疑者の鑑定を実施する必要があり、医師の意見を尊重して6カ月間が相当と判断した』
理由開示請求にあたり、両親の弁護人は裁判所に求釈明書(質問書)を提出していた。法廷ではこれらへの回答も読み上げられている。次のような内容だ。
・共謀の具体的内容は。また証拠には何があるか。…『共謀の内容は「事前共謀」。証拠は先ほど述べた通り、検察官提出の一件記録中の捜査報告書などの証拠により、各被疑事実と被疑者との結びつきを疑うに足る相当な理由があると認めたもの』
・医師は被疑者が否認しているとわかった上で鑑定の必要性を検討したのか、それとも容疑が認められることを前提に検討したのか。…『鑑定依頼の際、検察官から医師に一件記録の説明があり、その上で医師が必要性を検討した』
・被疑者は全面否認しており、医師は被疑者の話を前提として鑑定することができないのではないか。…『弁護人のご意見として承る』
・仮に鑑定医が被疑者の供述以外から責任能力を判断するのなら、そもそも鑑定留置の必要がないのでは。…『鑑定留置の理由は先ほど述べた通り。弁護人のご意見として承る』
まず簡易鑑定を実施することもできる、最初から鑑定留置が必要と判断した理由は。…『理由は先ほど述べた通り。弁護人のご意見として承る』
・期間を6カ月とした理由は。…『すでに述べた通り、娘の障碍の内容や、共犯者である妻への精神鑑定と並行して被疑者の鑑定を実施する必要があるという医師の意見などにより6カ月間が相当と判断した』
・留置場所を病院ではなく拘置所にした理由は。…『検察官提出の一件記録から認められる事情をふまえて定めたもの』
そしてこの後、弁護人たちが追加の求釈明として法廷で直接、裁判官に説明を求めるやり取りが続くことになる。時に激しい言葉の応酬も展開されたその問答の一部を、以下に採録しておこう。
弁護人:娘の生活状況などを父親から聴取する必要があるから6カ月必要、という趣旨か?
裁判官:そういうことも含めて総合的な判断だ。弁護人:娘のことを聴くのに父親を身体拘束するのは法の趣旨に反する。
裁判官:父親本人にも鑑定の必要がある。弁護人:父親によると、すでに鑑定医との面談が始まっていて『大半は娘さんのことを訊くことになる』と言われたと。そのために6カ月必要か?
裁判官:鑑定の手法についてはこの場で回答しない。弁護人:ここは鑑定留置の理由を開示する場では?
裁判官:留置の必要性は先ほど述べた通り。弁護人:実質的に何も答えていない。ほぼ禅問答だ。
裁判官:先ほど述べた通り。弁護人:説明のあった被疑事実で、犯行の最終時点はホテルから自宅まで移動し終えた時点。その時点までの責任能力に疑いがあり鑑定が必要だとする実質的な理由を、具体的に。
裁判官:先ほど述べた通り。それ以上は今後の捜査に支障があるので差し控える。弁護人:裁判官の発言が捜査に支障をきたすのか?
裁判官:その内容に触れることは避けたい。弁護人:父親を長時間取り調べた検事がそこに座っている。その検事に『父親の責任能力に疑問を感じたことがあるか』と釈明を求めていただきたい。
裁判官:この場で必要か?弁護人:取り調べた検察官がここにいるのだから。
裁判官:弁護人のご意見として承る。弁護人:検察官、お答えいただけないか?
検察官:裁判官から釈明を求められれば話すが、そうでなければ話すことはない。裁判所:裁判所としては釈明を命じない。
検察官:では答えない。
弁護人:先ほどの求釈明書への回答でも『弁護人の意見として承る』とあったが、父親の供述がない中でどう判断するのかという質問に答えていない。
裁判官:先ほど説明した通り、医師には一件記録を説明した。その上で鑑定を受託されたと承知しており、こちらとしては『弁護人の意見として承る』と。弁護人:医師ではなく裁判官としてどうなのかと訊いている。
裁判官:今述べた通り。弁護人:供述がないのに判断できるということか?
裁判官:そういうことだ。弁護人:共謀がなく、動機がない。それでも判断できると?
裁判官:先ほど述べた通り、検察官の一件記録から判断した。弁護人:一件記録、一件記録と。それは何なのか?
裁判官:一件記録は一件記録だ。弁護人:ものすごい禅問答だ。供述がない中で判断できるというのなら、では何で判断するのか?
裁判官:証拠について逐一触れるのは今後の捜査に支障がある。弁護人:すでに鑑定に入っている中で捜査をするという前提か?
裁判官:鑑定に支障が生じることにはならないが、捜査はこれからも続く。弁護人:裁判官の意見がなぜ捜査に支障をきたすのかわからない。動機の了解可能性について被疑者供述が得られないのに、どうやって鑑定するのか。『やっていない』という人からどうやって動機などを判断するのかと訊いている。証拠の内容に触れろとは言っていない。
裁判官:先ほど述べた以上のことは述べられない。弁護人:理由の開示は憲法34条後段で定められているのに、全然答えになっていない。
裁判官:一件記録からの判断であり、証拠の内容に触れることは差し控える。弁護人:だから触れなくていい。動機の了解可能性とかを医師はどうやって父親から聴き取るのか。鑑定医は否認事件を一度もやったことがないと言っているが」
裁判官:鑑定留置の手法についてはこの場では控える。弁護人:そういうことを医師にきちんと聴いてから判断するのが裁判官の仕事だ。それを聴かず6カ月間も身体拘束するのか?
裁判官:まず簡易鑑定を実施し、それをふまえて本鑑定に進むという裁判例はもちろん承知しているが、本件については本鑑定と留置の必要性を認めた。これ以上述べることはない。弁護人:職権上、もう一度考え直すことはできる。今日の意見をふまえ、ぜひ考えていただきたい。
裁判官:その必要があれば。
弁護人たちが食い下がる理由は、改めて述べるまでもない。両親にはあきらかに責任能力があり、そもそも精神鑑定の必要がなく、あまつさえ6カ月間も身柄を拘束し続ける合理的な理由がない――。疑われるのは、裁判所による捜査機関の“時間稼ぎ”の追認。この姿勢への疑義は、母親への理由説明の場でも引き続き示されることになる。弁護人らと裁判官とのやり取りは、以下のように進むこととなった(※ 裁判官による理由説明や事前の求釈明への回答は父親のケースと重複する内容が多いため割愛)。
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