八女・三田村市政に歪められた公園整備事業|疑惑の発端は・・・

八女市(三田村統之市長)が情報公開条例を無視してまで実態を隠蔽しようとした公園整備事業。市内を流れる矢部川の河畔に「矢部川水辺公園(仮称)」を造ろうという計画だが、残された公文書によれば、“八女市における”事業のスタートは2015年(平成26年)ということになっている。

市は、15年中ごろから旧立花町中洲地区の集団移転地跡に公園を整備することを企図し、16年1月に「立花郷土の水辺(仮称)整備事業基本構想」を策定していた。

■旧立花町が計画していた公園整備

八女市への情報公開請求で入手した同構想の中の「整備の背景」には、旧立花町から計画を引き継ぎ、集団移転後の跡地に「県と市が協働で」整備を行うとする方針が述べられている(下が基本構想の表紙と「整備の背景」)。

注目したのは、整備の背景にある『国に提出した事業概要』という文言。当初、市が開示した資料の中には含まれていなかったため、存在を確認した上で、改めて開示するよう求めた。

その結果出てきたのが、旧立花町が1995年(平成7年)に作成した下の『事業概要表』である(赤いアンダーラインはハンター編集部)。「跡地については、本事業を引き続き緑地公園として、北川に流れる矢部川の水遊び場とのつながりを持たせた住民の憩いの場を整備する」と書かれているのが分かる。冒頭で述べたように“八女市における”事業のスタートは2015年だが、本当のスタート地点は1995年頃だったというわけだ。

ここに出てくる『跡地』は、添付文書で確認することができた。それが下の図面である。

図面中、斜線で示された土地が『跡地』。つまり、緑地公園用地ということだ。八女市が売買契約書などの関連文書を「ある」と認めながら、「立花町が買収した土地で、八女市が買収した土地ではない」というバカげた理由で「不存在」と偽り、隠そうとしたのがこれらの事業用地のことだった。

残念ながら、“立花町における”この計画は実現することなく、2010年に立花町が八女市に編入合併された段階で市への引き継ぎ事項となる。

次に動き出すのが、“八女市における”事業計画がスタートした2015年。後に「矢部川水辺公園(仮称)」と名を変える「立花郷土の水辺(仮称)整備事業基本構想」で表面化する。立花町の編入合併から5年、唐突に浮上した公園整備計画には「余分な土地」(市関係者の指摘)が加わり、市内部からも事業の正当性を疑う声が上がるような内容に変わっていた。「立花町時代の計画を、三田村市政が歪めた」と断言する市職員OBもいる。

■当初計画になかった「余分な土地」

次に示すのは、「立花郷土の水辺(仮称)整備事業基本構想」の策定を受けて、市が民間の設計会社に基本設計を業務委託した際の添付図面。何故か、前掲の旧立花町時代の事業計画より対象地が横に拡がっているのが分かる。八女市がいったん「不存在」とし、抗議を受けて開示した立花町時代の売買契約書の中には、拡大された公園用地の関連文書はない。

どの部分が市の関係者の言う「余分な土地」なのかは、八女市の事業計画に添付された図面をみれば瞭然だ。下は、開示された関連文書の中の設計図書の一部だが、黒い斜線が「公園整備事業」に充てられる土地で、そのうちの赤い囲みと斜線で示した部分が2015年から2016年にかけて“八女市”が買収した土地。つまり、立花町が国に提出した事業概要には含まれていなかった土地なのである。八女市が本当に隠したかったのが、この「余分な土地」の件であることは、これまで報じてきた通りである。

6筆、約2,138㎡に及ぶ問題の土地は、二人の所有権者から八女市が買収したものだ。実は、八女市による矢部川河畔の公園事業の真の発端は、この6筆の土地だったことが、複数の市関係者の証言とハンターの取材などから明らかになっている。まさに、“疑惑の発端”である――。

(以下、次稿)

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