3日、国会で新型コロナウイルスへの対策を強化する目的で、罰則を加えた改正コロナ特措法と改正感染症法が成立した。未曾有の危機の中、昨年の緊急事態宣言においては、政府と自治体による「休業要請」と「協力金」という形で、法律以外の手法がとられた。しかし、今回の改正特措法で、厳しい規制が法制化されることになった。
内容を吟味してみると、憲法違反が疑われる内容ばかり。これでもかと私権が制限されることになる。
■これでもかと私権制限
例えば、政府がイベントや集会の自粛を強制することは、集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密について定めた「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(第21条)の制約であり、移動や交通の制限は、居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由強要するについて規定した「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」(第22条)の制限となる。
小中学校の義務教育課程を休業させると「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」(第26条)の制約となり、政府が強制的に仕事を制限すると労働の権利・義務、労働条件の基準、児童酷使の禁止について定めた「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」(第27条)に反することとなる。
さらに、「一部の業種にだけ補償」する現状は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という第14条に反することとなる。
まさに憲法違反のオンパレードなのだが、「コロナ」を理由にすれば何もかもが許されるといった現状には寒気を覚える。
改正コロナ措置法は、立憲民主党などの野党も含めた賛成多数で可決されたが、“訴訟リスク”が消えたわけではない。補償のない営業自粛の命令は、本人の責任が無いにも関わらず、財産権を保障した第29条の「1 財産権は、これを侵してはならない」「2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める」「3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」で守られるはずの財産権の侵害となってしまう可能性がある。
“罰則付きの命令を出すが、補償は努力目標だ”という法律に、もし最高裁が違憲判決を下したら多額の賠償金を払わなければならないのだが、政府にその覚悟かあるとは思えない。
■あやしい中身の「議員立法」
多くの人が新型コロナウイルス感染拡大の中で冷静さを欠いている最中に、どさくさ紛れで成立させた改正特措法には、危うさが漂う。なぜそんな法律が作られたのかというと、改正特措法の実態が、内閣法制局がまともな審査をしていない議員立法だからだ。法律家なら誰でも知っているが、近年の議員立法は内閣提出法案と比べて質が悪い。
政府が国会に提出する法案(内閣提出法案)は厳重に事前審議が行われる。その過程で、与党と関係省庁、関係団体の間で議論・調整が行われ、内閣法制局の審査を通す。それに対して議員立法は、安倍政権から続く“一強体制”により、その課程が曖昧になっており、必然的に内容も大雑把なものになる。
法案を提出した議員の先生方でさえ中身を吟味していないため、それぞれの条文が憲法に抵触するかもしれないという危機感も、自覚もない。それを証明してみせたのが、法案審議の最中、銀座のクラブなどを訪れていた自民党と公明党の議員たちだった。
この体たらくを見せつけられた国民から「自粛しろと言った与党の国会議員が夜遅く遊びに行っている。私権を制限する法案を出しておいて、なんだ!」「過料、罰金は国会議員に課すべきだ」といった声が上がるのは、当然と言えるだろう。
『#もういらないだろ自民党』というツイッターには、「PCR検査も入院も即急に出来るし、コロナなんかヘッチャラなんだろうな」「挙げ句の果てには生活保護を受けろと言う。内閣総理大臣が言うことかと、絶句する」「やっぱりどこかで、自分達は特別、一般庶民とは違う。という意識があるんだろな」「国会議員の給料は満額のままで国民の痛みがわかるのか」などの批判が続々と投稿されている。
国会議員が覚悟を持って新型コロナウイルス感染拡大防止のための法律を作っているとは思えない。
(国会議員秘書)