菅政権「2050年カーボンニュートラル宣言」という偽善 

菅義偉首相は、昨年10月26日に開会した臨時国会の所信表明演説で、国内の温暖化ガスの排出を2050年までに「実質ゼロ」とする方針を表明した――「我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします」――これが『2050年カーボンニュートラル宣言』だ。

「カーボンニュートラル」とは、企業などの事業活動等から排出される温室効果ガス排出総量の全てを、他の場所での排出削減・吸収量でオフセット=埋め合わせする(環境省のホームページより)という考え方。もっとくだいて言えば、二酸化炭素(CO2)やメタン、一酸化二窒素、フロンなどの排出量と吸収量とをプラスマイナスゼロの状態にすることである。地球規模の温暖化が進む中、世界的な課題となっているのは確かだが、果たして菅首相は本気で気候変動問題に取り組んでいるのだろうか?

■宣言への高評価

菅氏は安倍政権の官房長官時代、温暖化ガスを大量に排出する石炭火力発電の輸出について「日本の石炭火力は効率がいいんだろ」と発言していた。石炭火力輸出に積極的だったことから、カーボンニュートラルについての関心は低かったと考えるのが妥当だろう。自民党総裁選の際も、デジタル庁や携帯値下げなどについては強調していたが、「脱炭素」についてはほとんど触れていなかった。

なぜ急に「2050年カーボンニュートラル宣言」が出されたのだろうか。決め手となったのは、首相就任後まもない昨年9月27日に行われた、水野弘道経済産業省参与(当時。今年1月に退任)との面談だと言われている。

水野氏はこの日、菅首相にレジュメを作って政策提言した。レジュメには、「国連総会で中国はようやく2060年のネットゼロを表明したが、そちらの方が日本より評価されている。日本が中国より10年早い目標を立てるのは全く不可能ではなく、しかも表明した瞬間に国連や国際社会で菅総理の名前が知られることになる」などと書かれていた。この部分に、菅首相は敏感に反応したという。

首相就任前から外交に弱く、国際社会の知名度が低いとの評判があり、それが「相当気になっていた」という菅首相にとって、そのイメージを変える大きなチャンスだった。首相の英断により、2050年カーボンニュートラル宣言を出したという印象を作りだしたかったわけだ。そして菅首相の思惑通り、所信表明演説への国内外の評価は非常に高いものとなった。昨年12月に経産省が公表した「2050年 カーボンニュートラルを巡る国内外の動き」という資料には、その実例が示されている。

グテーレス国連事務総長(10月27日:菅総理との電話会談にて)
――「演説で示された果敢な決断を心から歓迎し、高く評価する。完全に支持する。日本のリーダーシップを心強く思い、感謝する」

エスピノザ国連気候変動枠組条約事務局長(10月26日:ツイート)
――「2050年までに日本をネットゼロにすることを約束した菅総理のリーダーシップは、1.5℃の目標に向けた重要な貢献であり、素晴らしいことである。私は全ての国2020年に長期戦略を提出することを強く奨励する」

フォン・デア・ライエン欧州委員長(10月26日:ツイート)
――「全ての先進国が気候変動対策を止めるため各国が自らの取組を設定すべきという目標に日本が加わることを心から歓迎する。日本は、良き友人、同盟国であり、2050年排出ネットゼロに向けて一緒に取り組むことを楽しみにしている。世界は気候変動問題に対して一つになりつつある」

ジョンソン英首相(10月26日:ツイート)
――「2050年までにネットゼロに到達するという日本のコミットメントは素晴らしいことである。来年のグラスゴーでのCOP26に向けて、菅総理及び日本政府と緊密に協力して気候変動に取り組むことを楽しみにしている」

アル・ゴア米元副大統領(10月26日:ツイート)
――「世界第3位の経済大国である日本が2050年までのカーボンニュートラルを約束した。菅総理と小泉大臣がこの目標を設定したことを称賛。主要国は、現在利用可能なクリーンなソリューションを利用することで、野心的な気候目標を達成出来る」

中西経団連会長(10月26日:経団連HP上でのコメント)
――「なかでも気候変動対策をめぐっては、2050年カーボンニュートラル(CO2排出実質ゼロ)の実現を目指すことが宣言された。激甚化する自然災害などにより、国際社会が気候変動に対する危機感を強めるなか、パリ協定が努力目標と位置付ける1.5℃目標とも整合する極めて野心的な目標を掲げることは、持続可能な社会の実現に向け、わが国の今後のポジションを確立する英断であり高く評価する」

■大雪で露呈したEVの弱点

「脱炭素」は世界の潮流だ。その意味では経済産業省参与だった水野氏のプレゼンには何も問題はない。しかし、水野氏は米国の電気自動車大手「テスラ」の取締役になっており、ストックオプションを付与されている身である完全な利害関係者だ。さらに経産省の参与という公的な立場でEV(電動車)化を進めたのであれば、利益誘導だと疑われても仕方ない。2050年カーボンニュートラルは菅首相と水野氏の思惑が一致した政策なのだが、今後の日本経済に大きな影響を及ぼすことになる。

目玉になるのは、「2030年半ばに政府がガソリン車の新車販売を禁止する」との内容だ。実現は難しいとされているが、イギリスは2035年にHV(ハイブリッド車)も禁止して全てをゼロエミッション車とする方針で、米カリフォルニア州も同様に2035年にすべてをゼロエミッション車にすると表明している。

近い将来、容量も大きく、充電に時間もかからず、リサイクルも容易な上に価格も安いというバッテリーが開発されれば問題はないのだが、現在のリチウムイオンバッテリーを前提に考えるとEVの普及は限定的にならざるを得ないのが実情だ。それに気がついたのか、中国は今までのEV集中戦略からHVも重視する方向に転換した。

EVについては今冬、関越自動車道や北陸自動車道などで大雪により立ち往生する車が相次いだことで、致命的な弱点が明らかになった。もし「電欠」になってしまったら、ガソリン車やHVのように携行缶などで簡単に給油できないので、レッカー車に充電スポットまで牽引してもらわなければならない。大雪だけでなく、地震や洪水などでEVが電欠になったら、レスキューすること自体が困難になる。

■「原発推進」の筋書き

EVの電力が火力由来の場合、大量のCO2を排出する。日本は他国と比較して再生可能エネルギーの利用が低く、他国で主力になっていくとされる風力発電、太陽光発電について、国土の利用可能面積に制限があることから将来的にもあまり増えないと予想されている。また、EVに使用するリチウムイオン電池の生産には多くの電力を必要とするが、火力発電が主力の現状では、EVは生産時に多くのCO2を排出することになる。

日本自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ自動車社長)は昨年12月、日本は火力発電の割合が77%(2018年度)の国だから、自動車の電動化だけでは二酸化炭素の排出削減につながらないと指摘した。(*EUは40%、アメリカは6割以上が火力発電)

また「夏の電力使用のピーク時に乗用車400万台が全部EVだった場合は電力不足になり、解消には発電能力を10~15%増やさねばならない。それは原発でプラス10基、火力発電ならプラス20基必要な規模」という試算も示している。

会見で豊田会長が示した危機感とは「このままでは日本でクルマが造れなくなるかもしれない」「これからは再生可能エネルギー導入が進んでいる地域・国への生産シフトが予想される」という点だ。これは輸出で成り立っている日本車や日本の自動車産業にとっては大きな課題であり、雇用にも直結する。

現状のまま日本で自動車製造を続けるとすると、政府がカーボンニュートラルを目指す2050年には、現在と比べて70万人から100万人もの雇用が自動車産業だけで失われかねないという、日本自動車工業会の試算も出ている。

一方で経済産業省は、「2050年のカーボンニュートラル実現に向けては、原子力を含めたあらゆる選択肢を追求することが重要であり、軽水炉の更なる安全性向上はもちろん、それへの貢献も見据えた革新的技術の原子力イノベーションに向けた研究開発も進めていく必要がある」「目標として、①2030 年までに国際連携による小型モジュール炉技術の実証、②2030 年までに高温ガス炉における水素製造に係る要素技術確立、③ITER 計画等の国際連携を通じた核融合 R&D の着実な推進を目指す」として、原発推進の理由に使おうとしている。

ある政府関係者は「2050年カーボンニュートラル宣言は、所信表明のネタに困って打ち出した、目くらましだ」「あと30年先には今の為政者は誰もいない」と言う。

30年後に菅首相はいないだろうが、政府の高過ぎる目標設定がこの国を不幸に陥れるとしたら罪は深い。

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