新聞記者が、公共施設内での取材中に不法侵入で逮捕された――。北海道・旭川市で起きた出来事が、地元報道関係者に衝撃を与えている。各社の記者が批判するのは、公的機関の異様な取材制限を警察が追認し、容疑者となった記者の所属会社もとりたてて抗議の声を上げていないこと。地元医大の学長人事をめぐる騒動のさなかに伝わった想定外の“事件”は、どういう形で決着することになるのか。
■大学職員が記者を「逮捕」
事件が起きたのは、現学長のハラスメント疑惑が伝えられる旭川医科大学。渦中の吉田晃敏学長の辞意を受けた同学が同氏の解任を決める選考会議を設けた今月22日夕、地元紙・北海道新聞の女性記者が会議室のある「看護学科棟」に無断で立ち入ったとして建造物侵入の疑いで現行犯逮捕された。調べにあたった旭川東警察署は2日後に記者を釈放したが、同記者や上司らへの捜査はその後も続いており、送検の有無は25日時点で決まっていない。
事件当時、旭川医大の敷地内に足を踏み入れていた報道関係者は、先の記者のほかにも複数いたことがわかっている。その1人が「彼女が逮捕されるならわれわれ全員逮捕ですよ」と言う通り、特定の1人が突然「無断で立ち入った」とみなされるのは、いかにも唐突だった。ただその日、大学当局がそれまでにも増して報道対応に神経を尖らせていたのは確かなようだ。
地元報道関係者によると、旭医大では事件の4日前に「ちょっとした小競り合い」が起きていた。大学は同日も看護学科棟で会議を開いており、その会場に駈けつけた5人ほどの記者が取材対応をめぐって事務局の職員とトラブルになったという。大学側は会議を完全非公開で進めようとしており、これに疑問を寄せる記者が複数いたためとみられる。
この出来事を機に、大学側は看護学科棟への立ち入り制限を強化。選考会議のあった22日夕、学内に集まった記者団は同日午後6時からの“ぶら下がり”取材対応の予定を伝えられる。趣旨としては「それまでは開会中の会議室に近寄らないで欲しい」との要請。立ち入り制限の理由は「新型コロナウイルス感染拡大防止」とされていたが、記者の1人はその数日前に耳にした事務局職員のこんな言葉を憶えている。
「非公開なのに、会議の内容が外に漏れている。それを報道されてみんな疑心暗鬼になっているので、できればそういう報道は控えて欲しい。その代わり、質問があればこちらでしっかり対応する」
現学長のハラスメント疑惑を伝えてきた報道各社にとって、次期学長の選出は最大の関心事のひとつ。その選考過程を完全非公開にされては、内部でどういう議論があったのかを読者・視聴者に一切伝えられなくなる。そう考える記者がどれほどいたのかは定かでないが、少なくとも1人がその思いを実行に移した。
選考会議が始まって30分ほどが過ぎた午後4時半ごろ、たまたまドアを開けて廊下に出ようとした大学職員が、北海道新聞の女性記者と鉢合わせた。記者はスマートフォンを手にしていたといい、ドアの隙間などから会議のやり取りを録音しようとしていたと考えられる。つまり、そこにいた目的はあきらかに「取材のため」だったが、ここで大学職員がとった行動が常軌を逸していた。その場で相手を「現行犯逮捕」したのだ。
■自社記者逮捕を実名で報じた北海道新聞
同日夜の警察発表を受け、地元報道のほぼ全社が記者逮捕の報を発信。その中で唯一、「容疑者」の実名を報じたメディアがある。ほかならぬ女性記者の勤務先・北海道新聞だ。翌日朝刊に載った一報は、北海道警察・旭川東警察署の発表をほぼそのまままとめたような記事で、当時まだ留置施設に拘束されていた自社の記者を守る気概はおよそ感じられない。一方で、地元の記者仲間からは当人の去就を案じる声も上がっていた。市内の記者クラブに加盟する1人が打ち明ける。
「今後もクラブでフォローして行こうとか、差し入れでも持っていこうかとか、そんな話が出ました。実際、あれを不法侵入とは無理があり過ぎます。取材中はみんな敷地内にいるわけだし、建物に入ってトイレを借りたりしても咎められない。ぶら下がりだって敷地内でやっています。そもそも、学長のハラスメント追及は道新さんとかの報道が強い追い風になっていたのがあきらかで、関係者は道新に足を向けて寝られないはず。立ち入り禁止の場所まで行ってたとしても『出て行け』の一言で済む話です」
これに対し、大学側は「取材行為とは確認できなかった」と主張する。筆者の質問には、以下のような回答が寄せられた。
《その場で身分や目的を問いましたが、明確な返答がなく逃げ去ろうとしたため、学外者が無許可で建物内に侵入していると判断し、警察へ連絡いたしました》
筆者は当日の顛末に加え、憲法が保障する「知る権利」などへの認識を尋ねる質問も寄せていたが、これに対する回答は届いていない。
事件後、道新は「記者が逮捕されたことは遺憾です」とのコメントを発表したが、この「遺憾」が逮捕行為への抗議なのか取材行為への反省なのかがはっきりしていない。情報によれば、女性記者は入社まもない新人。彼女を含む現場の記者を束ねる編集局長は、逮捕前日の異動でその任に就いたばかりだった。
道新内部では、職場の煮え切らない対応に批判の声が噴出し始めた。同社記者の1人が明かす。
「若手からベテランまで『取材中の記者を守らなかった』と会社への批判が巻き起こっています。労組にはおもに若手からメールが殺到し、部長職の間でも『なぜ旭医大、道警に抗議しなかったのか』と批判が高まっています」
女性記者は逮捕の2日後に釈放されたが、旭川東署は在宅で捜査を継続中。現時点で検察官送致はされていないようだが、釈放日の夕には旭川地方検察庁の次席検事が定例会見で「もっと穏当な対応もできたと思う。皆さんのお気持ちはわかります」と述べたことが伝わっている。検察の常識的な姿勢を知ってか知らずか、道警はここに来て女性記者のメールのやり取りなども調べ始めているといい、事実ならば取材の秘密の重大な侵害が疑われるところだ。
さらには、事件を“作った”旭医大。同大は24日、あろうことか道新に「抗議文」を寄せて女性記者の取材行為を「遺憾」と表明した。これを受けた道新は、逮捕後にも増して歯切れの悪いコメントを残すことになる。
《釈放された記者や上司らから逮捕時の状況や経緯を確認しています。確認が取れた段階で対応させていただきます》(6月26日付朝刊)
地元関係者が事態の行方を見守る中、フリーランスを含む各地の女性記者ら約100人で組織する「メディアで働く女性ネットワーク(WiMN)」は28日、取材中の記者逮捕への抗議声明を発表した(『旭川医大で取材中の女性記者逮捕・勾留に関する抗議声明』)。同日時点で、女性記者の送検の有無は決まっていない。
(小笠原淳)
【小笠原 淳 (おがさわら・じゅん)】 ライター。1968年11月生まれ。99年「札幌タイムス」記者。2005年から月刊誌「北方ジャーナル」を中心に執筆。著書に、地元・北海道警察の未発表不祥事を掘り起こした『見えない不祥事――北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない』(リーダーズノート出版)がある。札幌市在住。 |