滋賀県大津市の中学校でいじめを受けていた2年生の男子生徒が自殺してから10年。2013年には、その事件を契機に成立した「いじめ防止対策推進法」が施行され、17年には同法の実効性を高めるため「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」が策定された。しかし、いじめは一向に無くならない。 背景にあるのは、いじめと向き合わず、学校の体面や教員の保身を優先する教育現場の現状。「うちの学校に、いじめはない」「いじめは起きたが、すぐに解決した」などとして事案を隠蔽するケースが後を絶たない。
腐敗した教育現場の実態を、まざまざと見せつけたのが鹿児島県教育界の対応だ。今年になって、鹿児島市で起きていた何件もの「いじめの重大事態」が、学校と市教育委員会によって隠蔽されていたことが分かった。
最初に明るみに出たのは、2019年(令和元年)に鹿児島市立伊敷中学校で発生した複数のクラスメートによる“いじめ”。同校や鹿児島市教育委員会が共謀し、真相を闇に葬っていたことが判明している。
誰がみても、いじめ防止対策推進法が規定する「重大事態」にあたる事案だったが、被害生徒に寄り添った教員や市教委職員は一人もいなかった。
担任や校長が保身に走ったのは明らかで、被害者である女子生徒が学期途中で転校に追い込まれたのをいいことに、「いじめは解消」したとする虚偽の記録を残して幕引きを図っていたことが明らかになっている。
この件を追及したハンターの報道をきっかけに、次々と市内の小・中学校における重大事態の隠蔽が発覚。被害児童・生徒の保護者が、個人情報開示請求によって入手した文書から、歪む教育現場の実態が浮き彫りとなる。
これまでに、重大事態として認知あるいは認知に向けた調査が必要とされたいじめは4件。このうち、転校や通学校の変更を余儀なくされた過去のケースが3件となっている。
市教委が設置した第三者委員会が関係者の聞き取りなどを進めているが、学校や市教委が保身のためにでっち上げた基礎資料が当たり前のように使われており、真相解明への道筋は見えてこない。
学校や教育委員会に対し、高まる不信感……。ハンターは、いじめにあった子供たちの保護者3人に集まってもらい、ここに至るまでの経緯や、それぞれの胸の内を語ってもらった。
(*本稿では、伊敷中で起きたいじめの被害者家族をAさん、谷山地区の小学校で起きたいじめの被害者家族をBさん、別の中学校で起きた暴行被害者の保護者をCさんと表記する)
■いじめの告発に至った理由
――それぞれのケースに違いはあれ、いずれも、「重大事態」を認めないで済むように、「いじめは解消した」として学校や市教委によって事実上の隠蔽が行われていました。今年になって告発しようと決意されたのは何故ですか?
Aさん:うちの子供の場合、担任がいじめに加担していたことでクラスが荒れ、35人中8人が不登校傾向になっていました。たくさんの生徒と家族が苦しんでいた事は、決して看過できない問題だと考え、ハンターに相談しました。特に、当時の担任には、しっかりと指導していただきたいという思いもあります。
Bさん:うちの場合は、いじめを受けた当時に重大事態の申し立てを行っていましたが、学校にも市教委にも相手にしてもらえなかったのです。
いじめを受けて医療機関のお世話になり、不登校日が48日。文科省が定めたガイドライン(「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」)では明らかに重大事態でした。それを学校も市教委も黙殺したんです。
ところが、伊敷中のいじめに関するハンターの報道を子供と見て、やっぱり重大事態だったよねって、一体どんな処理の仕方をされたんだろうと気になって告発することにしました。記者さんに個人情報開示請求をした方がいいと言われて、あれよあれよと1か月もしないうちに、重大事態と認定されました。
Cさん:危険ないじめにあって子供が大変なけがを負っているというのに、学校も市教委も、きちんと向き合ってくれませんでした。告訴・告発をしようにもどうしたいいのか分からず、結局子供と話し合って転校を決意しました。ですが、黙っていることはできなかったのです。今年5月26日に南日本新聞社に掲載された伊敷中のいじめの記事を読んだ友人・知人・親戚から、次々に連絡あったことがきっかけで、告発すべきと思うようになりました。
いずれのケースも同じだが、いじめが表面化した直後に学校がやったのは、加害児童・生徒に“形だけ”の謝罪をさせて事を済ますという弥縫策。根本的な解決にならなかったことから、いじめは継続し、被害を受けた子供たちは肉体的にも精神的にも追い詰められていった。では、具体的にどのようないじめが行われていたのだろうか――。
■いじめの実態
――いじめの形態は様々です。大人から見てささいなことでも、子供は大きく傷ついてしまうこともあります。いじめというより、明らかな暴行と言った方がよいケースもあります。皆さん方のお子さんが受けたいじめについて、具体的に教えて下さい。
Bさん:暴行、暴言、それから冷やかし。ことさら関わってくるという感じ。「来た、来た、来た」とか、そういうザワザワした感じだったようです。持久走大会の練習をしていると、「こけろ」と声を上げる。うちの子供と一緒に帰ったら罰金2、000円という『条約』を作って、メモを他のクラスの子に渡していたそうです。
Cさん:うち子供に対しては、酷い暴力行為がありました。首を吊り上げた形で絞める。お姫様抱っこして3階の教室から落とそうとする。両手で頭を押させて扉に打ち付ける。高所恐怖症を知った上での肩車。いじめを超えた暴行と言うべきものでした。次が暴言。死ね、殺すぞ、きもい、消えろ、臭い――。これが日常的に繰り返されていました。
Aさん:私の子は、中2の秋(令和元年)に、クラスの中の強い生徒数名によるいじめを受けました。文房具、マスク、教材などを「貸して」と言って無理やり奪い取り、返さない。長女が抗議すると、胸倉をつかんだり、「死ね」と脅したりしていました。担任は相談しても笑って聞き流すだけ。子供は「学校に行きたくない」「死にたい」と追い込まれ、心療内科に通うようになっていったのです。担任もいじめの加害者でした。
いずれのケースも直接的な「暴力」を伴っており、一歩間違うと大変な事態になっていた可能性が否定できない。特にCさんの子供は後遺症で重い障害を負っており、いまも病院通いが続いている状況だという。いじめというより、暴行傷害事件と言った方が妥当だろう。鹿児島県警の不作為で、事件化されていないだけだ。
では、いじめられた子供や保護者が、まず最初に救いを求めたはずの担任や、担任を指導する校長、さらには学校を監督する教育委員会はどうような対応をしていたのだろうか?
■学校側、市教委の対応
――子供さんがいじめられていることを知って、まず初めにどうされましたか。次に、相談を受けた学校や市教委はどう動いたのか、聞かせて下さい。
Aさん:子供からいじめられていることを聞いて、主人が生徒指導主任と警察に電話し、生徒指導主任は加害生徒に事情聴取したようでした。先ほどお話ししたように担任も加害者でしたから、他の先生に相談するしかなかったのです。しかし、その後の対応は極めて杜撰。私たち家族は加害者とその保護者による謝罪の場を設定することを求めましたが、学校は事実上これを拒否しました。形だけのお詫びの手紙と、弁償した一部の物品が来ただけ。学校側にも加害者側にも、誠意のかけらもなかったですね。
Bさん: 早い段階で担任には相談をしていたんですが、いじめは収まりませんでした。担任も学校も信用できなかったですね。仕方なく市教委に相談しましたが、親切そうな言葉だけで、その都度『学校に指導を入れときますね』の繰り返しでした。結局、何も変わらなかった。
Cさん:うちの場合は、隣のクラスの先生が暴行の現場を見て、いじめが発覚しました。すぐに両者に聴き取りがあって、加害者側へ指導があったのですが、加害者の保護者からの謝罪は一切ありませんでした。それどころか、指導を受けた加害者が激高して、『お前のせいで俺が怒られたんだ。先生にチクったら殺すぞ!』と。それと同時に暴力行為が酷くなっていったんです。実情を訴えても、学校側も市教委も動いてくれず、子供は心身を蝕まれるまで追い詰められていきました。
3つのケースで共通して見えてくるのは、現実と向き合わず、目の前で起きているいじめという問題から逃げる担任教師の姿。伊敷中のいじめでは、担任教師が加害者側に加担し、被害の訴えを鼻で笑っていた。
学校長も、解決に向けた動きを見せるのはいじめが発覚してすぐの時点までだったようで、残された記録文書をみても、保護者らの証言通り、いじめの継続を本気で止めるような指導がなされた形跡はない。当時の伊敷中の校長に至っては、逆ギレして被害生徒の保護者を怒鳴りつけるという、教育者にあるまじき態度だったことが分かっている。
教師や市教委への信頼が崩れていく中、いじめは「継続」していた。
(以下、次稿)