部落の誤った起源説は「お墨付き」を得て広まった| 東北の蝦夷と被差別部落(その10)

学問の世界では、ある時期に定説として扱われた学説が後に覆されることはよくあることである。新しい事実が見つかったり、新たな知見が得られたりすれば、定説は「旧説」として打ち捨てられていく。

定説を唱えた者たちはそれまでの蓄積を踏まえ、精進を重ねたうえでそうしたのであって、責められるいわれはない。その当時、彼らには新しい事実を知り、知見を得るすべがなかったからである。

だが、被差別部落の歴史をめぐる研究については、いささか事情が異なる。戦後、長い間、被差別部落の起源については「戦国末期から江戸時代にかけて支配層が民衆を分断統治するため新たにつくり出したもの」という、いわゆる近世政治起源説が定説となった。

この説を唱えた者たちは「事実の持つ厳粛さ」と誠実に向き合うという学問の大原則をないがしろにし、自らが信じるイデオロギーに沿って研究を進め、その「成果」を発表し、「確固たる学説」として広めていった。

彼らが唱えた学説は、部落解放同盟が展開した運動と一体となって、「被差別部落の起源に関する自由な研究」を許さないような状況を作り出した。そして、表現と言論の自由を侵害し、部落差別の解消をめざす政府の同和対策事業をもゆがめるような結果をもたらした。

死者に鞭打つようなことはしたくはない。だが、被差別部落の歴史研究に関しては、この近世政治起源説を広めた学者たちの棺を掘り起こし、弾劾せずにはいられない。その罪は重く、それがもたらした影響はあまりにも深刻だからだ。

◇    ◇

すでに紹介したように、被差別部落=近世政治起源説の原型とも言える学説を唱えたのは、戦前の歴史学者、喜田貞吉・京都帝大教授である。喜田はこれを皇国史観に立って主張したのだが、その学説を別のイデオロギーで作り直し、定説と言えるものに仕立て上げていったのは、戦後のマルクス主義を信奉する学者たちだった。

その第一人者は、井上清・京都大学教授である。日本近代史を専門とする井上は、部落解放同盟の北原泰作書記長との共著『部落の歴史』(1956年)に、被差別部落の起源について次のように記した。

「戦国時代は『下剋上』が発展し、日本の歴史のもっとも活気あふれたときであった。古代からの天皇制は、天皇の位につく儀式の費用にもこまるほど無力になり、身分や家がらよりも、経済、軍事、知恵等々の実力がものをいった」

「近世の大名ができる過程で、すでに中世とはちがう差別された『部落』がつくられている。そして豊臣秀吉が全国をしたがえてゆくなかで、刀狩りや検地で、百姓町人の武装の自由はうばわれ、百姓の移動および職業をかえることは禁止され、百姓は孫子の末まで永久に百姓として領主の土地にしばりつけられ、士農工商の身分制の骨組がつくられる。徳川幕府時代に入って、それは細かいところまで完成される」

古代と中世の賤民制度は戦国の世を経てバラバラになり、近世に入って新たな身分制度がつくられた、という主張だ。随所にマルクス主義の歴史観がにじむ。そのうえで、井上はこう唱えた。

「百姓以下の身分として『えた』、『非人』および『宿の者』、『はちや』、『茶せん』、『おん坊』、『とうない』そのほかのいわゆる『雑種賤民』が、身分と職業と住所と三つをきりはなせないものにされ、いまに残る部落がつくられたのである」

近世の賤民の特徴は、この時代に定められた身分と職業、住所の三つが切り離せないものになった点にあるとの主張で、「三位一体説」と呼ばれ、近世政治起源説の根幹をなすものになった。

ちなみに、「被差別部落」という表現を初めて使って定着させたのも井上である。賤称を廃止するとの明治4年の太政官布告(いわゆる解放令)の後も、部落の人たちは「新平民」あるいは「特殊部落民」などと呼ばれ、差別され続けた。井上は新しい言葉を作り出して、そうした呼称を一掃したのである。

井上を中心とする学者たちが敷いた路線に沿って、近世の部落差別に関する史料や記録の発掘が進められ、研究論文の発表や書籍の出版が相次いだ。立命館大学の奈良本辰也、林家辰三郎両教授や大阪市立大学の原田伴彦教授ら錚々たるメンバーが部落問題研究所などに集い、近世政治起源説を打ち固めていった。

そして、この学説はついに政府の同和対策審議会の答申(1965年)に明記されるに至った。

同和対策審議会は、部落差別の解消に向けての基本方針と総合的な政策を打ち出すため、1961年に総理府の付属機関として設置された。4年の審議を経て出された答申は、部落差別を放置することは「断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」と記し、政府として部落の環境改善や社会福祉、教育面での支援に乗り出すよう求めるものだった。

差別に苦しみ、さいなまれてきた部落の人たちは、1922年(大正11年)に全国水平社を結成し、戦後も差別をなくすための闘争を繰り広げてきた。同対審の答申は、その長くて困難な道を歩み続けた末にたどり着いた到達点であり、部落解放運動の大きな成果であった。

問題は、その歴史的な文書に「部落の起源」に関する記述を書き加えたことである。前文の後の「第一部 同和問題の認識」に次のような文言が盛り込まれた。

「本審議会は、これら同和地区の起源を学問的に究明することを任務とするものではない。ただ、世人の偏見を打破するためにはっきり断言しておかなければならないのは、同和地区の住民は異人種でも異民族でもなく、疑いもなく日本民族、日本国民である、ということである」

「同和地区は、中世末期ないしは近世初期において、封建社会の政治的、経済的、社会的諸条件に規制せられ、一定地域に定着して居住することにより形成された集落である」

内閣総理大臣、佐藤栄作あてに出された審議会の答申に、研究途上の一学説にすぎない近世政治起源説がそっくりそのまま盛り込まれのだ。異様と言うしかない。

政府側の委員として答申の作成にかかわった磯村英一は、第4回部落問題研究者全国集会でその内情を次のように語っている(1967年の同集会報告所収)。

「はっきり申し上げますと、委員のメンバーの中でのイデオロギーの相違からきた反撥の問題が、具体的内容を定めるのにかなり強くひびいたことです。(中略)同対審の会長が三回も四回もやめるといったような問題の中には、今申しましたような問題も若干あります」

「審議の過程における意見の対立は結構ですが、どちらがイニシャティブをとるとか、またどうしてもその関係者でなければ執筆できないというような点については、もう少し広い立場に立ってよいのではないかと思います」

審議会の内部で激しい意見の対立と葛藤があったことをうかがわせる報告だが、ともあれ、マルクス主義を信奉する研究者たちの学説は「政府のお墨付き」を得た形になり、揺るぎないものとして世に広まっていった。

この答申を受けて、4年後の1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、同和地区のインフラ整備や職業・教育支援などのために巨額の公費が投じられた。2002年に同和対策事業に終止符が打たれるまで、投じられた公費は総額15兆円とされる。

こうした同和対策事業によって被差別部落の環境が大幅に改善され、福祉や教育の面で大きな成果があったことは間違いないが、そのひずみもまた大きかった。

大阪府では同和教育のための副読本『にんげん』が作られ、すべての小中学生に無償で配布された。その副読本に書かれていたのは、もちろん「部落は戦国時代の終わりから江戸時代にかけて新しくつくられたもの」という内容だった。他の自治体でも同様である。

部落の近世政治起源説は1980年代以降、中世の史料や記録の発掘・研究が進むにつれて揺らぎ始め、やがて「破綻した学説」としてほとんどの研究者が見向きもしなくなった。

しかしこの間、数十年にわたって、教師たちは「部落は近世になって新しく作られたもの」と子どもたちに教え続けた。イデオロギーに囚われた学者たちが仕立て上げた、誤った学説を垂れ流し続けた。それは広く、深く浸透し、再生産された。

答申に「近世政治起源説」を盛り込んだのは取り返しのつかない過ちであり、その悪影響は政治や行政、学問や教育、文化、言論などあらゆる分野に及んでいった。

(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)

長岡 昇(ながおか のぼる)
山形県の地域おこしNPO「ブナの森」代表。市民オンブズマン山形県会議会員。朝日新聞記者として30年余り、主にアジアを取材した。論説委員を務めた後、2009年に早期退職して山形に帰郷、民間人校長として働く。2013年から3年間、山形大学プロジェクト教授。1953年生まれ、山形県朝日町在住

 

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写真説明
1922年に結成された全国水平社の宣言文

参考文献&サイト
◎『部落の歴史 物語・部落解放運動史』(井上清・北原泰作、理論社)
◎『賤民の後裔 わが屈辱と抵抗の半生』(北原泰作、筑摩書房)
◎『被差別部落の歴史』(原田伴彦、明石書店)
◎『同和対策審議会答申』(京都大学の公式サイト)
◎『「同対審」答申を読む』(奥田均、解放出版社)
◎『同和対策と部落問題:第4回部落問題研究者全国集会報告』(部落問題研究所)の磯村英一講演録=国立国会図書館のデジタルデータから抜粋
◎『部落史がかわる』(上杉聰、三一書房)

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