札幌で発生から3年半が過ぎた首相演説ヤジ排除事件で、排除被害に遭った市民らが北海道警察に損害賠償を求めた裁判の控訴審が3月7日、札幌高等裁判所(大竹優子裁判長)で結審した。事実審としては最後の場となる法廷では一審原告(被控訴人)らが改めて意見陳述に立ち、警察に侵害された表現の自由の重要性を訴えた。
■ヤジ排除を違法と断じた一審判決
「現場の警察官は『ヤジを飛ばすことはほかの人にとって迷惑』と繰り返し主張していただけで、周囲との具体的なトラブル発生の可能性や、ましてや私が自民党支持者による攻撃の標的となるなどといった話は一つもありませんでした。ある警察官などは『大声にびっくりして死んじゃう人がいたらどうするの』などと軽口さえ叩いていたほどです」
大杉雅栄さん(35)の陳述に、満席の傍聴席から笑いが起こる。語られたのは、2019年7月に札幌市で起きた出来事。大杉さんら複数の市民が当時の安倍晋三総理大臣の選挙演説に「やめろ」などとヤジを飛ばし、あるいは批判的なプラカードを掲げ、大勢の警察官たちに“排除”された事件だ。
犯罪行為が疑われていない市民の行動を実力で制限した対応について、理由を問われた地元の北海道警察は7カ月間にわたって「事実確認中」と繰り返した挙げ句、翌年2月の議会答弁で「警察官職執行法に基づく措置だった」と弁明した。安倍氏の演説現場では大杉さんらと与党支持者たちとの間でトラブルが起きるおそれがあったといい、このため警察官らが警職法4条に基づいてヤジやプラカードの主たちを「避難」させ、あるいは同5条に基づいて「制止」したのだという。
当事者らがこの説明に納得できるはずもなく、大杉さんらは現場の警察官らを特別公務員暴行陵虐などで札幌地方検察庁に告訴する。だが同地検は「罪とならず」あるいは「嫌疑なし」として告訴事件すべてで不起訴処分を決定。これを受けた札幌地裁刑事部への付審判請求(刑事裁判の求め)も却下され、さらに検察審査会への審査申し立ても奏功しなかった。
唯一、排除行為を違法と断じる判断が示されたのが、大杉さんらが札幌地裁民事部に提起した国家賠償請求訴訟。昨年3月の一審判決では先の警職法を引き合いに出した道警の主張が一蹴され、原告側全面勝訴の結果となった。同地裁(廣瀬孝裁判長)は当時のヤジが「政治的な表現」だったと認め、判決で次のように説いている。
《原告らはいずれも「安倍やめろ」「増税反対」などと声を上げていたところ、これらはその対象を呼び捨てにするなど、いささか上品さに欠けるきらいはあるものの、いずれも公共的・政治的事項に関する表現行為であることは論を俟たない》
地裁はさらに、その表現行為を実力で止めた警察官の対応について「(ヤジが)演説の場にそぐわないものとして判断したことはあきらか」と指摘、「(排除行為は)表現の自由を制限したもの」と断定するに到る。
■噴飯ものの警察側立証、控訴審判決は6月
これを不服とした北海道警察はただちに控訴、争いは札幌高裁に持ち込まれ、昨年12月に1回目の口頭弁論が設けられたところだった。本サイト既報の通り、控訴人(一審被告)の道警は「もしもヤジ排除をしなかったら起きていたかもしれない事件」を想定した動画を複数制作して証拠提出するなど、一審原告側の想像を超える立証活動で関係者らを抱腹させることになる。
冒頭に引いた大杉雅栄さんの発言は、これに続く控訴審第2回弁論での陳述だ。ヤジ排除当日を振り返ったその語りからもわかる通り、当時の警察官は警職法には一言も触れず、ただ「迷惑」と繰り返していただけだった。これを証言した大杉さんは「安倍氏こそ『大迷惑』だ」と指摘、陳述を次のように続けた。
「NHKの経営委員や内閣法制局、検察庁などの人事に強引に介入したこと、憲法違反が疑われるさまざまな法案をいくつも強行採決したこと、国会での審議や手続きをないがしろにしたこと、知人友人への便宜として行政の決定を捻じ曲げたこと、公文書を改竄させたこと、統計を偽装したこと……。こうした強制的で独善的な政治決定は、法治国家の基盤をも破壊する深刻なものですが、あえて言うならば『大迷惑』だと私は考えます」
続いて陳述に立ったもう1人の一審原告――「増税反対」と叫んで複数の警察官に長時間つきまとわれるなどの被害を受けた桃井希生さん(27)は、先の地裁判決を「(排除行為で)失っていた社会への安心感を少し取り戻した」と評価し、昨年7月に岸田文雄・現首相の街頭演説に出かけた時の体験を語った。桃井さんはその日、演説会場に「ヤジも言えない社会ポイズン」と書いたプラカードを持参、岸田氏に向けて掲げ続けたという。
「少しして、私の横にいた2人組もプラカードを掲げていることに気がつきました。レインボー柄の服やアクセサリーを身につけていて、LGBTQの権利を主張しているのだとすぐにわかりました。プラカードには『くだばれ!伝統的家族観』などと書かれています。当時、自民党議員の会合で神道政治連盟が作成したLGBTQへの差別的な冊子が配られたことがあきらかになり、大きく問題化されていました」
見知らぬ2人の行動に、桃井さんは「自分たちを差別する政党の支持者たちの中でプラカードを掲げることにはどれだけ勇気が要るか」と感服、表現の自由の意義を再確認することになる。
「ヤジひとつ飛ばしたところで、すぐに政権を交代させたり不合理な政策をやめさせたりすることはできません。しかし一つの声、1枚のプラカードは、それだけで、強固に見える現状の絶対性を揺るがすことができます。今の社会の形は絶対的なものではありません。私たちの力で変えることができる。声は、それを聴いた誰かにも『私たちには社会を変える力がある』ということを伝えるのです」
そして、その声を排除する行為を強く批判し、真っ当な司法判断を求めて陳述を締め括った。
「ヤジ排除事件の日、道警は大杉さんや私を排除することで『声を上げたらこんな目に遭うぞ』というメッセージを社会に伝えました。司法には道警の行為の違憲性を認める判決を期待します」
排除事件から3年半が過ぎ、当時の道警本部長・山岸直人氏はすでに警察を退職、安倍晋三元首相は昨年7月の銃撃事件で帰らぬ人となった。弁論後の会見(*下の写真)でこの間の世論の変化について問われた桃井さんは「冷笑的な人は一定数いるが、そうではない人たちが『排除はおかしい』と言ってくれるようになった」と実感を語り、同じく大杉さんも「声を上げることのハードルは下がった。決して悲観はしていない」と話した。
控訴審は同日の弁論で終結。仮にこの判決後、控訴人・被控訴人のいずれかが上告を申し立てしたとしても、最高裁では憲法判断が行なわれることになるため、事実審としては一審原告らの意見陳述が最後の機会となった。二審判決は6月22日午後、札幌高裁で言い渡される。
(小笠原淳)
【小笠原 淳 (おがさわら・じゅん)】 ライター。1968年11月生まれ。99年「札幌タイムス」記者。2005年から月刊誌「北方ジャーナル」を中心に執筆。著書に、地元・北海道警察の未発表不祥事を掘り起こした『見えない不祥事――北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない』(リーダーズノート出版)がある。札幌市在住。 |