大任町議長銃撃事件の真相(下)|黒幕判明で明らかになる「動機」

2002年7月に起きた福岡県大任町議会の楠木重明議長銃撃事件は、川筋ヤクザの本流といわれる指定暴力団「太州会」の二次団体「政時組」(解散)の二代目組長・O氏(*アルファベットの「O」。既に太州会を破門)の依頼を受けた男性(本稿では「A氏」)の犯行だった。

O氏に議長襲撃を指示した本当の『黒幕』は、事件直前のO氏の言動や、服役していたA氏の出所直後に1,400万円もの現金を渡したという事実から、永原譲二大任町長だった可能性が高い。

では、なぜ永原氏は、議長襲撃などという危ない橋を渡らなければならなかったのか――?同町における当時の状況を振り返ると、A氏の刑事裁判でも明かされることのなかった「動機」が見えてくる。

■「黒幕=永原町長」の傍証

太州会の二次団体で解散した「政時組」の二代目組長O氏は、太州会を破門された後、覚せい剤事案で服役していたことが分かっている。仮出所したのは2年ほど前だったとされ、その時の身元引受人は、なんと永原譲二町長だったという。

永原町長とO氏は同級生。「友人を助けた」という言い訳も成り立つが、政治家が元暴力団幹部の身元引受人になるなど、普通ならあり得ない話だろう。O氏に銃撃の指示をしたのが永原町長だったとすれば、同級生以上の“切っても切れない仲”になっていたことは確か。その証拠にO氏は出所後、町長の口利きによって、道の駅で商売を行っていたという情報さえある。

A氏はハンターのインタビューに、「一昨年(おととし)ぐらいに」「Oが帰って来たから、町長と3人で会おうということになった。ほんで、町長と3人で例の政策研究会の事務所で会った」と語っており、O氏の仮出所の時期と符合する。

またO氏が、A氏を含む自身の周辺に「(永原から)車を買ってもらった」(A氏の記憶では「キャデラック」)という自慢話をしていたことも確認されており、町長とO氏の関係の深さがうかがい知れる。

時間をさらに遡れば、「二人は子供の頃からの友だちだったが、Oはいつも永原にいじられる存在だった。永原が親分で、Oが子分」(地元の古老の話)だったという。こうした上下関係は大人になってからも引きずるもので、永原町長にとってO氏は、無理を言いやすい存在だったと思われる。

■銃撃された議長が牛耳っていた大任町

9月26日の配信記事《密接交際の証明|永原譲二大任町長と指定暴力団会長の「記念写真」》で示したように、1990年の大任町長選挙で落選した永原氏はその後、「太州会」の大馬雷太郎三代目会長を後ろ盾に鉱害復旧事業を利用して荒稼ぎ。自身で建設資材を扱う組合や建設会社を設立して、さらに事業を拡大していった。そのころの永原氏を象徴しているのが、太州会のゴルフコンペで大馬三代目会長と並び自慢げにクラブを振った時の「記念写真」である。(*下の画像参照)

 このゴルフコンぺを軸に、一連の動きを時系列で並べると次のようになる。

 次に、この時系列に「議長銃撃事件」を加えてみる。

 議長銃撃事件は、ゴルフコンぺの約2年後。実はそれまで、太州会をバックに経済力をつけた永原氏といえども、襲撃を受けることになる楠木議長に、太刀打ちどころか近寄ることさえできなかった。

実は、当時の大任町における最大の実力者は楠木議長。前出の地元古老は「楠木議長の後ろに、山口組の影がちらついていた」と打ち明ける。町内の利権を自由に操る楠木議長は、永原氏にとっては、まさに“目の上の瘤”だった。

権力を独占するために邪魔者を消す」――それこそが議長襲撃事件の真の動機だったという見立ては、決して外れてはいまい。

事実、銃撃を受けた楠木議長は、護身用に入手したのか、翌年に拳銃所持で逮捕され、表舞台から姿を消す。銃撃事件が起きた2002年の暮れには、永原氏自身が建設業法違反(虚偽申請)という微罪で立件されるが、捜査当局の本当の狙いは、銃撃事件への関与を探ることにあったのではないかとみられていた。永原氏の業法違反は、罰金50万円で終わっている。

こうして町内での絶対的な権力を手中に収めた永原氏は、2005年に念願の町長に就任。以後の「活躍」については、これまでの配信記事で報じてきたとおりだ。暴力団との密接交際、ダミー業者を使った公共工事の私物化、賭け麻雀、批判勢力に対する恫喝、国会議員を通じての警察への圧力――。まさに悪行三昧なのだが、そんな永原氏が、福岡県町村会の会長として全国町村会の副会長を務めるまでにのし上がった。野望はとどまることがないようで、次かその次の全国町村会会長を狙っていたという情報もある。

■暴力の連鎖を経て「暴力支配」

大任町の歴史に刻まれているのは、「暴力の連鎖」だ。同町では1986年10月、当時の町長だった崎野正規氏が町長室で執務中、侵入してきた男に射殺されるという事件が起きた。政時組は崎野元町長と近かったとされ、この射殺事件の背後に、議長でありながら町を牛耳ることになる楠木重明氏の存在があったという。

崎野元町長と良好な関係を保っていた政時組としては、楠木議長を狙うのに、ためらう理由はなかったとも考えられる。町長射殺と議長銃撃がつながっていたとすれば、まさに暴力の連鎖。その延長線上に永原氏による「暴力支配」があり、本人が起こした特殊警棒を使っての町民恫喝事件は、まさにその象徴だったと言える。

A氏の告白によって議長銃撃事件の『黒幕』が永原町長だったとわかったことで、「動機」も鮮明になる。銃撃事件の一審判決(2004年12月)で裁判長が述べた《A被告には動機が見当たらず、背後に指示した人物が存在することがうかがえる》という指摘への答えが、そこにある。

2002年のこととはいえ、議長銃撃事件は「終わったこと」で済ませていい問題ではない。銃撃の「動機」が永原町長側にあった場合は、実行犯A氏の事件というよりも「依頼主の事件」。つまり教唆ではなく、『共謀共同正犯』になるからだ。当然、真相究明が求められることになる。

最後に、「黒幕=永原町長」は揺るがすことのできない事実だと断言しておきたい。ハンターは、『黒幕』が誰だったかを示す、A氏も知らない銃撃事件を巡る動きについても取材済み。さらに、A氏以外の別の関係者から議長襲撃を煽っていたのが永原町長であったとの確たる証言を得ており、いずれ稿を改めて詳細を報じる予定だ。

*本稿に関し、ニュースソースを明示しない勝手な後追い報道や、記事の転用を禁じます)

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