先月31日、2002年(平成14年)に起きた福岡県大任町議会の楠木重明議長(当時)銃撃事件で、実際の犯人の他に別の襲撃部隊が同じ目的で動いていたことを報じた(既報)。指定暴力団「太州会」の二次団体だった政時組(解散)の組長O(以下「O」。破門)から襲撃を命じられていたのは、元組員A氏。衝撃の事実を明かしたA氏が、改めてハンターの長時間インタビューに応じ、当時の状況を詳しく語った。以下、その内容を2回に分けて報じる。
■銃撃事件直前、組長が命じた永原氏の護衛
Q:政時組の組長Oから議長襲撃を命じられたのはいつでしたか?
A氏:いや、まず話しておかないかん前段があるんですよ。実は、最初にOから命令されたのは、永原の護衛やったんです。Q:護衛?どういうことですか?
A氏:2001年から2002年頃にかけてだったと思いますが、永原と議長の楠木がもめちょったんです。トラブルですね。当時、大任で最大の実力者だった楠木の後ろには別の暴力団がおったんで、永原は押され気味で、いまじゃ考えられんことですが、永原の方が危なかった。そいで、永原の同級生のOが、頼まれたのか売り込んだのか分からんが、『永原を護衛しちゃれ』と――。ヤクザが永原を護衛しちょったんですよ(笑)。Q:ボディガードですね。組員さんによる。
A氏:そうです。私と若いもんと、何人かずつ交代で。Q:四六時中、ということですか?
A氏:いやいや。永原はまだ町長になっちょらんかったし、そこまでは……。襲われるとしたら自宅に帰って来て、家の中に入るまでの間。これが一番危ない。Oも『ジョウジが外に出るけん、帰りが狙われる』と――。そいで、自宅周辺で張り込んで、家の中に入るまでを護っちょったんです。Q:実際に危ない場面はあったんですか?
A氏:なかったです。なんも起きんかった。Q:どれくらいの期間、護衛についたんですか?
A氏:3カ月くらいやったですね。本人(永原)が『もういいよ』って。Q:護衛の報酬は?
A氏:Oはもらっちょったかもしれませんが、私らには何もなかったですよ。Q:緊迫した状況だったことは分かりましたが、当時の永原町長は企業舎弟ですよね?
A氏:そうです。Q:政時組とは、もともと近かった?
A氏:政時(組)で二代目になっていたOと永原は同級生。小さい頃からの付き合いです。Oは永原の子分みたいなもんだったそうです。確かに、仲良かったし、いまは永原の関係する福祉施設にいるはずですよ。『ジョウジが』『ジョウジが』の自慢話はしょっちゅう。『ジョウジに車買ってもろた』で、白いキャデラック乗り回しちょったですから。白い上下のスーツに白い帽子で(笑)。羽振り良かったですからね、その頃のOは。ただ、シャブ中でしたがね。覚せい剤ですね。Q:長い付き合いということのようですが、永原氏が町長になってからも?
A氏:ですね。Oは何度かシャブであげられ(逮捕のこと)、懲役いっちょるんですが、去年かおととしに出てきた(出所)時のガラ受け(身元引受人)は、永原やったと聞いてますから。切っても切れん仲。そらそうでしょう。暴力団組長のOに頼んで、人を襲わせちょるんですから。それをペラペラしゃべられたら、なんもかんも無くします。Q:幼馴染であるにしろ、企業舎弟と組幹部のズブズブの関係があったということですね。
A氏:それは間違いないです。みんな知っちょることですから。Q:議長襲撃の指示は、永原氏の身辺警護の後ですね?
A氏:3カ月くらい護衛やって、なんも起こらんかった。それからすぐに『ジョウジが、楠木を邪魔んなる言うとる』ちゅう話になるんです。Q:永原氏と楠木氏の対立があって、永原氏が狙われかねない状況だった。反撃というか、邪魔な楠木議長を、黙らせようとしたわけですね。
A氏:そうですね。その頃の楠木議長は一番の実力者で、太州会を後ろにつけた永原といえども簡単に手を出せる相手じゃなかった。別の広域組織とケンカするようなもんですからね。で、モノが言いやすい存在だったOに頼んだというわけです。そいで、私のところに話が来た。
元組員の話は、楠木議長銃撃事件が起きる前の段階で、永原氏と楠木氏による勢力争いが激化していたことをうかがわせる内容だった。暴力団が、資金源である企業舎弟を護衛するという構図は、ドラマや映画の世界そのものだ。身の危険を感じていたであろう永原氏はこのあと、幼馴染の組長を使い、思い切った反撃に出る。
(以下、次稿)
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*「ジョウジ」とは、現在の大任町長・永原譲二氏のこと。永原氏は、出所した実際の銃撃犯に千万単位の現金を渡していたことも分かっている。
【参照記事】
・大任町議長銃撃事件の真相(上)|指示した組長が漏らした「永原譲二」「1000万円」
・大任町議長銃撃事件の真相(中)|出所直後、永原町長から1400万円
・大任町議長銃撃事件の真相(下)|黒幕判明で明らかになる「動機」