2002年(平成14年)に起きた福岡県大任町議会の議長銃撃事件で、実際の犯人の他に、別の襲撃部隊が同じ目的で動いていたことが分かった。指定暴力団「太州会」の二次団体だった「政時組」(解散)の元組員が、当時の組長(「以下『O』。破門)から命じられ、複数で議長をつけ狙っていたことをハンターの記者に証言した。元組員がO組長から聞いた依頼者の名は「ジョウジ」。現在の大任町長、永原譲二氏である。
■実行犯を出したのは解散した「政時組」
銃撃事件が起きたのは2002年7月2日。当時大任町の議長を務めていた楠木重明氏(故人)が、飯塚オートレース場そばの路上で男性に銃撃され、右腕にけがを負った。議長の命に別状はなく、銃撃の実行犯は翌年3月に逮捕された。議長銃撃の顛末については、服役を終えて社会復帰した男性から長時間の聞き取りを行い、本サイトで3回にわたって詳細を報じている。
【参照記事】
・大任町議長銃撃事件の真相(上)|指示した組長が漏らした「永原譲二」「1000万円」
・大任町議長銃撃事件の真相(中)|出所直後、永原町長から1400万円
・大任町議長銃撃事件の真相(下)|黒幕判明で明らかになる「動機」
今回ハンターの記者に襲撃計画についての証言を行ったのは、2002年当時、政時組のO組長の下で組員として活動していた人物。O組長から襲撃方法を指示され、約1カ月にわたって議長をつけ狙ったという。襲撃を指示した際、元組員から依頼主を聞かれたO組長は、「分かるやろが」と苦笑し、「ジョウジから」と言って現金を渡していた。
ハンターは、福岡市内で取材に応じた元組員の男性から当時の記録と証言を得ており、次の配信記事でインタビュー記事を配信する予定だ。