6月下旬に起きた北海道新聞記者「侵入」逮捕事件で、メディア関連団体などから関係各所への抗議声明が相次いでいる。
批判の声は、取材中の記者を“逮捕”した旭川医科大学や関係者の捜査を続ける北海道警察のみならず、当該記者の所属する道新本社にも向けられており、また同社内では事件直後から若手・中堅記者らが社の姿勢に疑問を呈する声を上げていた。逮捕の一報から1カ月が過ぎてなお、その声はしばらく収まりそうにない。
■道新の姿勢に内外から批判
事件が起きたのは6月22日夕。学長人事をめぐる選考会議が開かれていた旭川医大で、会議室のある建物に“侵入”した北海道新聞旭川支社報道部の女性記者を同大職員が現行犯逮捕し(常人逮捕)、北海道警察旭川東警察署に引き渡した。同日は多くの報道関係者が旭川医大構内に出入りしていたが、午後になって同大が会議室付近への立ち入りを制限、会議終了までは取材を控えるよう各社に申し入れていたという。建造物侵入の容疑で道新記者の調べにあたった旭川東署は2日間にわたって記者の身柄を拘束、釈放後も在宅で捜査を続けることになる(7月21日時点で捜査継続中)。
当日の警察発表を受け、地元報道大手は翌23日までに事件の概要を発信、ほぼ全社が「容疑者」を匿名で報道する中、当事者の勤務先である北海道新聞のみは唯一、記者の実名と年齢を伏せずに事件を報じた。記者は入社まもない新人で、社命で取材にあたったのはあきらかだったが、それを指示した人物などは明かされないまま、ひとり“実行犯”のみが犯罪者扱いされた形だ。
この報道後に道新内部で「若手記者を守らなかった」と社を批難する声が噴出した経緯は、6月29日公開の本サイト記事で報告した通り。その前日に所属を越えた女性記者らの集まり「メディアで働く女性ネットワーク( WiMN )」が逮捕・捜査への抗議声明を発表した動きも、すでに報じた。
当時の本サイト記事が配信される直前、日本新聞労働組合連合(新聞労連)が道新に『意見書』を寄せていた事実は、現時点でほとんど報じられていないようだ。同意見書で新聞労連は、旭川医大の対応などに事実上の疑義を述べた上で、次のように道新に呼びかけている。
《貴社には、経緯とともに報道機関としての役割を社会に対して説明し、理解を求める努力をすべきだと考えます。当該記者をはじめ、組合員たちが直面した業務中の事案において、関わった組合員個人に社会的責任を負わせるものではないと考えます》
これに先立つ6月24日には、同労連に加盟する道新労組が本社編集局に『要望書』を提出、やはり事件の経緯や実名報道などについての説明を社に求めていた。
《若手記者の動揺は激しく、本社、支社、支局から、不安と憤りの声、そして実名報道の判断に至った理由の説明を求める意見が、組合に押し寄せています》《この日を境に、取材に向かう足が不安で一瞬止まるような思いをしていることを、会社はご存じでしょうか》
編集局は同日、記者の実名表記について「事件・事故の報道は実名が原則」「自社の社員だからとダブルスタンダードにはしなかった」と組合に説明している。のちにこれを知った中堅記者の1人は「それこそダブルスタンダードじゃないか」と呆れることになった。同記者が憤慨するのは、今回と同じ旭川支社で起きた別の事件との扱いの違いだ。
「去年の1月、当時の旭川支社の報道部次長が酒気帯び運転で検挙されたんです。紙面で『 STOP飲酒運転』キャンペーンを展開していたさなかの不祥事でしたが、この次長の事件を会社は匿名で報じました。本人はそれで厳しい処分を受けるでもなく、依願退職するでもなく、今は関連会社でそれなりのポストに就いてますよ」(道新記者)
酒気帯び運転は、いうまでもなく飲酒した本人にその責任が問われる不祥事。それに対し、職場の指示で公共施設に「侵入」する行為の責任は、当事者のみが負うべきものではない。前者を匿名とした新聞が後者を実名で報じる不可解さは、編集局の言う「原則」で説明しきれるものではなかったといえる。
■迷走する道新
別のある記者は、昨年2月に起きた道新電子版の「ジェンダーコラム削除事件」を思い出した。関係者によると、同社の女性記者が書いたそのコラムには、「職場長」との面談で「あなたは、子育て中っていうハンディがあるわけだから」と言われて衝撃を受けた体験が記されていた。「職場長」は匿名だったが、当時の編集局長らは「文脈で個人が特定される」と、記事配信の3日後にコラムを削除させたという。女性記者はその後、個人が特定されないよう配慮して原稿を書き直したが、編集局長らは「1回目のコラムがすでに読まれており、特定される」と匿名の「職場長」のプライバシーを案じ、「子育てがハンディ」発言を含むエピソードの掲載を許さなかった。これを知った編集局内で「削除はおかしい」「育児をする女性への偏見に満ちた発言を不問に付した」などの批判が噴出、記者53人が連名で編集局長に抗議の意見書を提出する異例の事態に発展した。
この「職場長」はのちに編集局長を務め、関連会社の社長を歴任した人物という。記者の1人は、憤りとともに幹部の「ダブルスタンダード」を指摘する。
「女性差別的な発言をした元幹部には匿名でもあれだけ特定されないよう配慮したのに、大学の不祥事を取材した新人記者については、取材の目的や公益性について読者に一切説明しないまま実名・容疑者呼称で報じて斬り捨てた。お偉いさんは守り、新人は見捨てる『ダブルスタンダード』以外の何ものでもない」
道新の対応が後手に回ったのは、内部への説明のみではない。読者への情報発信は6月中に2度あったのみで、いずれもその時点で記者逮捕までの経緯を説明できておらず、事実関係を「確認」していると述べるに留まっている。一方の旭医大はこの時点で、筆者など地元報道の取材に「その場で身分や目的を尋ねたが明確な返答がなく逃げ去ろうとした」などと逮捕当時の事情を説明していた。さらに6月28日夕には旭川市内で記者会見を開き、全国紙記者の質問に「道新記者が会議室の前に立ちドアの隙間からスマートフォンで会議内容を録音していた」とも明かしている。
この会見の席で、参加者の誰もが記憶するはずの印象的なやり取りがあった。それは旭川医大と報道陣との問答ではなく、現場の記者同士のやり取り。朝日新聞の記者が「侵入」事件について大学に質問を寄せた際、これを受けた医大の担当者が道新の記者たちに「こちらから説明してよいか」と尋ねたところ、記者の1人が「待った」をかける一幕があったのだ。当日の録音データから、当該部分を書き起こしてみる。
旭川医大:認識の違いがあるかもしれませんが、私が把握している範囲でどういう状況だったのか、説明させていただいてよろしいですか。そのへんは、北海道新聞さんとしては。
道新:今あの、警察の捜査も入ってるので、ここで話すのは……。片方がお話しするということになると、問題があるかなと。
朝日:それはおかしいと思う。北海道新聞さんというよりは、われわれがとりあえず訊きたい。事件取材の時には当事者から話を聴くっていうのが当然なので、こちらからお話を聴くことについては問題ないと思います。その上で、各社が判断する。
旭川医大側はこれに「なるほど」と応じ、先述したスマホ録音の逸話などを明かすことになったわけだ。
■見苦しい言い訳
くだんの記者の釈放後、道新は「侵入」行為について旭川医大から抗議文を受けていた。これに「本来ならこちらから先に抗議すべきだった」と呆れるのは、かつて道新で特ダネを連発した元記者の1人だ。
「大学も警察もアホだけど、会社もアホ。すぐに抗議しないと駄目でしょう。じゃないと誰も公共施設で取材できなくなる。今回は新人の子だったらしいけど、もし自分が捕まってたら釈放後にまた『侵入』しますよ。『逮捕できるならやってみろ』と。そう言ってもいいぐらいアホな行為なの、あの逮捕は。それを社会にまったく伝えてないでしょう」
先の WiMN の声明に続き、7月2日には「日本ジャーナリスト会議 沖縄( JCJ沖縄)」が旭川医大の逮捕行為と北海道警の捜査を「報道の自由の侵害にあたる」とする抗議声明を発表したが、当の道新は7月に入ってからもそうした意思表明や事実説明に消極的なままだった。労組に寄せられる不信の声は後を絶たず、同月上旬には組合員の1人が労組の発行する『青しんぶん』に原稿を寄せ、社の「風通しの悪さ」を指摘している。
《1週間が経過しても、毎日、朝日など他紙が先んじて報道する一方、社内では社員向けの説明も十分にされていないことで、不信感が増しています》《弊社を「風通しの良い社風」だと考えている会社経営層を、私は何人も知っています。実態は逆で、その自覚すらも出来ていないのが現状です》《自社に都合の悪いことについては常に後ろ向きで、国家権力か他の報道機関からの圧力がないと反省、改善を図りません》
沈黙を続けた道新がようやく読者への説明に踏み切ったのは、事件から2週間が過ぎた7月7日のこと。朝刊第2社会面に8段のスペースを割いて「読者の皆さまに説明します」と謳ったその記事はしかし、お世辞にも充分な報告とは言い難かった。
同記事は、くだんの若手記者を会議室前に向かうよう指示した人物を「はっきりしません」としている。その直前の文章で電話やLINEのやり取りが複数回あったことを報告しつつ、誰の指示なのかが確認できなかったというのだ。事件の背景には「記者教育」の問題があったといい、「侵入」に到った原因として情報共有の不充分さや倫理教育の不足などを挙げる。スマホ録音については、次のような言い回しで記者本人に非があったかのように伝えている。
《北海道新聞は取材のルールを記した「記者の指針」で、記者の倫理上、無断録音は原則しないと定めていますが、指導が徹底されていませんでした》
このくだりは、必ずしも精確な事実を反映しているとは言い難い。引き合いに出された「指針」は、あくまで「録音にも作法がある」とした上で、こう定めているのだ。
《不正追及など社会的意義の高い問題で、かつ証言の迷走などリスクがある取材相手の場合には隠し録りが取材の補強・リスク回避手段となる》
同日の記事には、編集局長名で『ひるまず取材継続』と題する一文が添えられていた。だがここでも、旭川医大の取材対応を「十分とは言い難い」と、また現行犯逮捕を「遺憾」と表現するのみで、自社の若手記者を犯罪者扱いした大学や警察への強い抗議の意志は伝わってこない。挙げ句に「記者教育や組織運営のあり方などを早急に見直し、再発防止に努めます」と、あたかも逮捕行為や身柄拘束を全面的に受け入れたかのような結論に到っている。
この2日後に日本ジャーナリスト会議( JCJ )が発した声明には、こうした道新の弱腰を一喝する文言が並ぶことになった。
《「記者教育に問題があった」など低姿勢の釈明に終始し、事実上の謝罪となっている。記者が逮捕されたことについて「遺憾」と言うだけで、大学や警察の問題点については一言も触れておらず、報道機関としての矜持に欠ける》
さらに3日を経た7月12日には新聞労連が同様の批判を含む声明を発表した。
《発生から2週間後に公表された今回の調査結果は残念ながら組合員の期待を裏切るものであり、現場に責任を押し付けるばかりか、自らの責任逃れが滲んでいます。新聞労連は、新聞記者を含む多くの現場労働者が加盟する労働組合として、このような不十分な中身の報告書を看過できません》
内部からの批判も止まらない。先の報告記事は文字通り紙面のみで公表され、北海道新聞の公式サイトでは会員登録の必要なページに“隠される”ことになった。労組の『青しんぶん』には、この姿勢を「間違い」とする意見が寄せられている。
《興味本位でも、冷やかしでもいいから、会社として問題点があったことを社会に伝え、理解を求めるのが調査報告ではないのですか。こうした態度は明らかに間違っています》《すでに遅きに失したとは思いますが、会社は記者会見を開くべきだと考えます》
この筆の主とは別の道新記者は、さらにもう1つの問題を指摘する。旭医大の主張する「身分や目的を尋ねたが明確な返答がなく」という言い分を、社がそのまま受け入れてしまった点への批判だ。
「実際は、警察が到着する前に大学側は記者の名前と道新所属である事実を把握していました。そのことは会社も知っています。しかし報告記事では大学の主張や警察発表に沿って、彼女があたかも名乗らず不審人物として引き渡されたような誤解を読者に与えてしまった。非常に問題だと考えます」
■逮捕実名報道を主導した道新幹部
早々に幕引きをはかる道新上層部の思惑に反し、読者報告の1週間後には労組が文字通り「幕引きは許さない」と表明、第三者委員会の設置などを提案した上でさらなる検証を会社側に求めた。その2日後には、最初に抗議声明を発表した WiMN が道新本社に「公開質問状」を寄せ、改めて事実関係の説明を求めるとともに社内調査のあり方や結果の公表方法などについて社の考え方を質すに到っている。
問題の報告記事がどういう議論を経てまとまったのかは定かでないが、少なくとも当初の記者逮捕実名報道を主導した人物はほぼ特定できている(7月26日付配信記事参照)。昨年7月に警察取材を統括する本社報道センターの幹部職に就いたその男性記者は、警察担当を長く経験し、かつて道新が新聞協会賞などを受けた道警裏金問題報道などを快く思っていなかった人物として知られる。いわゆる“半日早いスクープ”を得意とする彼は警察当局との距離が近く、のちに裏金取材班のデスクとキャップが元道警幹部に名誉棄損で訴えられた時、道警との“裏交渉”にかかわっていたことが裁判で明かされた。裏金取材班を追い落とすべく、元道警幹部に「早く裁判を起こして」などと持ちかけた言動は、皮肉なことに道警側の「隠し録音」により裏づけられている。警察との癒着が疑われる人物が1年前に現在の幹部職に就いたことは、中堅記者などから「報道の公正さを揺るがすあり得ない人事」と衝撃をもって受け止められた。当初そのポストは別の人物で内々に固まっていたところ、発令前にひっくり返ったのだという。
今回、取材中の記者逮捕を受理し48時間拘束した道警を、道新は表立って一切批判しなかった。この対応への疑念を増幅させているのが、まさに先の幹部氏の存在だ。同業者間では「道新が警察批判をしないのは、裏金報道後の“手打ち”で遠慮しているからだろう」という“見立て”が語られているといい、これを伝え聴いたベテラン記者は天を仰いだという。来年2022年で創刊80年を迎える道新が今、かつてない「危機」にあると。
「長年積み上げてきた大事なもの、紙面の信用、読者からの信頼を一気に失った。報道機関として、存亡の危機だ」
逮捕後に釈放された新人記者はその後、首都圏の実家に一時帰省した後、再び北海道へ戻った。7月上旬には編集局長と顔を合わせ、「辛い目に遭わせて申しわけない」との謝罪を受けている。何度か言葉を交わしたことがあるという地元記者によれば、その人は逮捕後も気丈に「得難い経験をした」と語っていたというが、入社まもない新人が今回の件から受けたであろうショックは想像するに余りある。
同記者は採用2カ月後の6月初め、旭川・上川地方版の紙面に短いコラムを寄せていた。自身のルーツと北海道との意外な縁を綴った一文を、書き手は次のように締め括っている。
《これからの取材の中でも同姓の人に会ったり、なじみのある言葉を耳にしたりすることがあるかもしれない。たくさんの新たな出会いを楽しみにしている》
不意の「侵入」逮捕は、この3週間後のことだった。
内外からの批判が止まない中、道新は再び長い沈黙に入り、先の WiMN の公開質問への回答は26日時点で届いていない。逮捕1カ月を経てなお、「侵入」事件の送検の有無も決まらないままだ。
(小笠原淳)
【小笠原 淳 (おがさわら・じゅん)】 ライター。1968年11月生まれ。99年「札幌タイムス」記者。2005年から月刊誌「北方ジャーナル」を中心に執筆。著書に、地元・北海道警察の未発表不祥事を掘り起こした『見えない不祥事――北海道の警察官は、ひき逃げしてもクビにならない』(リーダーズノート出版)がある。札幌市在住。 |