自身が代表を務める政治団体の残高が6億円超という、ケタ外れの資金力を誇る古賀誠元自民党幹事長。議員バッジを外して8年以上経つというのに、現役時代と変わらぬ活発な動きを見せており、肺腺がんの治療に専念するため辞職することになった小川洋福岡県知事の後継選びを巡っては、国土交通省のキャリア官僚OBを引っ張り出すなど、地元福岡や永田町に絶大な影響力を持つ。
ただし、その存在が大き過ぎるのも考えもので、福岡県筑後市では、議長や市長が“公金”を使って古賀氏詣でを繰り返すという奇妙な状況になっている。
■市議会議長が税金で古賀事務所詣で
今年1月、筑後市の原口英喜議長が、政治資金規正法が定めた政治団体設立の届出をせずに、20年以上も違法な後援会活動を続けてきたことをシリーズで報じた。
《参照記事⇒「福岡県筑後市議会議長が違法な政治活動(1)」・「同(2)」・「同(3)」・「同(4)」・「同(5)」》
その原口議長が東京に公費出張するたび訪れるのが、古賀元幹事長の事務所である。下は、筑後市議会への情報公開請求で入手した、原口議長が平成30年(2018年)2月に東京出張した際の旅行命令書だが、用務先は「砂防会館」となっている。砂防会館のどこに行ったのか、さらには何のための出張かさえ記載されていないが、議長の訪問先は、国会や自民党本部から歩いて数分の場所にある「砂防会館 別館」(千代田区平河町)の古賀誠元自民党幹事長の事務所だった。
出張目的がハッキリしない命令書はまだある。令和元年(2019年)7月の東京出張も「陳情」とあるだけで、何の陳情で砂防会館に行ったのか、まるで分からない(下の画像参照)。
平成30年5月の旅行命令書には、古賀氏を訪問したことが明記されていたが、目的は議会とはあまり関係がないと思われる「副市長就任あいさつ」だった。
このように、用務先を「砂防会館」とした原口議長の東京出張は、平成29年(2017年)から令和2年までの間に、確認できただけで少なくとも8件。大物とはいえ、8年前にバッジを外した政治家の事務所を、公金を使って頻繁に訪れることには疑問が残る。
原口氏は、古賀元幹事長の後継者である藤丸敏衆議院議員の筑後地区の後援会幹部に就任しており、そうした意味でも出張の正当性には首をかしげざるを得ない。
■市長も「あいさつ」のためだけに東京出張
議長の東京出張と同様に問題ありとみられるのは、西田正治筑後市長の「砂防会館」訪問だ。筑後市の副市長だった西田氏が、前任者の引退を受けて市長に初当選したのは平成29年(2017年)11月。翌月には、市長就任の挨拶のためだけに、砂防会館を訪ねていた。
市長の旅行命令書をすべて確認してみたが、その後も、公費を使った古賀氏詣でが続いていることが分かる。(*下は、命令書と旅行日程)
古賀元幹事長は、郷土が生んだ大政治家だ。現役を引退した折の、いわゆる“引き際”も見事だった。バッジを外した後は、政界のご意見番として大所高所から永田町に意見し、極端に右傾化した安倍晋三政権下の動きにブレーキをかける稀有な存在となった。
その一方で、いまも国土交通省に絶大な影響力を持ち、福岡7区内で数々の大型公共事業を実現させていることに批判も絶えない。古賀氏が現職だった時代に尽力してできた「おぼろ大橋」(福岡県八女市)や「有明海沿岸道路」(福岡県大牟田市~佐賀県鹿島市)が、それぞれ「誠橋」「誠道路」と呼ばれてきたのは、土建国家を象徴するエピソードと言えるだろう。
その古賀氏の政治団体「古賀誠筑後誠山会」と藤丸議員の資金管理団体「藤丸至誠会」は、毎年3回政治資金パーティーを開いて約1億円の政治資金を得ており、筑後誠山会の2019年末の資金残高は6億円を超えていることが分かっている(参照記事⇒「残高6億超|増え続ける古賀誠元自民党幹事長の政治資金」)。パーティー券購入者の多くが、地元福岡を中心とした建設業者であることは言うまでもない。
古賀氏が、豊富な資金力で永田町や地元福岡に大きな影響力を保っているのは確かだ。しかし、国会議員を引退した身であることも事実。市長や議長が税金を使って東京の古賀事務所を訪ねる“いびつな市政”に、市民の賛同が得られるとは思えない。